轟々だった週刊誌の問題 AERA、ポスト、アスキー
ネット上で声が大きくあがってから数日が経つが、あらためてAERAに始まる週刊誌の問題について。
まずは騒ぎが起こったのはAERAの2011年3月28日号。ひどいという声が上がった。ぱっと見て小生もえっと思った。そのぐらいインパクトのあるものだ。
不安を煽る、風評被害を煽る、といった批判が轟々と起こった。3/20から報道もされた。
産経「アエラが謝罪 表紙の防毒マスクに「放射能がくる」 風評被害助長批判に」
デイリーニュース「苦情殺到AERA謝罪「放射能がくる」」
インターナショナルビジネスタイムズ「『AERA(アエラ)』の表紙・タイトル「放射能がくる」に批判集中」
ブログでも多数たたかれた。
「報道のあり方について」
「森田満樹さんの「AERAの『放射能がくる』はひどすぎる」」
AERA編集部は3/20にツイッターで「編集部に恐怖心を煽る意図はなく、福島第一原発の事故の深刻さを伝える意図で写真や見出しを掲載しましたが、ご不快な思いをされた方には心よりお詫び申し上げます」とのコメントを発表した。しかし、これには形だけの謝罪といった多くの批判の声があがった。
さらには次の28日発売の4月4日号で、AERAに連載の野田秀樹氏のコラム「ひつまぶし」で、「突然ですが、最終回です。」と怒りの連載中止の宣言がされた。
「とりぷるわい » AERAの「放射能がくる」という表紙に野田秀樹が怒り ...」
2/28追加:記事「野田秀樹氏「アエラの姿勢不安」自ら連載打ち切り」
19日発売のAERA表紙に「がくぜんとした」、「あおるような次元のこととは違う」とし、「報道の在り方に疑問を感じた」とも語っっているという。
さらにはマスメディアはもう終わりといった声もいくつかみられた。
参考ブログ「マスメディアによる世論形成の時代の終わりと、ソーシャルメディアによる世論形成の時代の始まりを感じた、AERA特集「放射能がくる」」
ツイッター上の声は、こちらにtogetterまとめがある。
「AERAの煽り表紙・中吊り広告に一言」
一方、AERAと対照的だと評価の声を集めたのが週刊ポストだ。
なお、AERAほどでないが同様に不安を煽るような表紙・メッセージは週刊現代などにも見られた。週刊朝日は週刊ポストと同様に読者を元気づけようというトーンだった。
小生も、(いつもAERAを置いている)知り合いのところの待合室用に週刊ポストをプレゼントしたら、とても喜ばれた。
確かに小生も、AERAには度肝を抜かれ気持ち悪くなったし、ポストでほっとした。しかし、内容を読み進めると、こちらがクロであちらがシロと単純に言うこともできない。
なお、AERAを全否定でなく、批判しながらも意味のある記事もあると認めているブログもある。「AERA「放射能がくる」特集の意義と価値を考える」
また、どっちもどっち、あるいは多様な表現を認める、といった意見もある。
「『AERA』の「放射能がくる」vs『週刊ポスト』の「日本を信じよう」が話題に」
「『AERA』と『ポスト』 どっちもどっち」
ボストでも不安を煽るような記事はあった。
パッケージと内容に分けて考えると、内容はどっちもどっちの感もあるだろうが、パッケージでは、AERAは度を超したという印象は確かにある。
AERAも、単に謝るのでなく、主張や編集方針、意図を表明して欲しかった。報道の自由、表現の自由はあるのであり、このままでは単にダークサイドに堕ちたという見方で終わってしまう。
なお、海外のマスメディアをみると、これは煽りの域を超えているものが多々ある。すると、マスメディアの特性として、サーカスかショーかオーバーすぎる表現を追及するのだろうか。エンタテインメントでは、これでよいが、報道、それも有事にこれはいかがなものか。
しかし、マスメディアはもう終わりといった論は、いささか極端かと。オンラインやソーシャルウェブが台頭し、さらに大きな位置づけを得るのは疑いない。そして、マスメディアは相対的に低落していくだろう。今回の311災害では、一部その低落を確かなものにしたという面はある。
なお、これらとは異なるタイプの表紙で評価の声が多数あがったのが3/22発売の「週刊アスキー」4月5日号。「いつもの週アスの表紙を心待ちにしていただいていた皆様には本当に申し訳なく思います。震災後に伝えられる映像やネットの情報を見るにつけ、表紙に入れるべき文章もビジュアルも、正直、何も思いつきませんでした。そのため、今回のような表紙になってしまったことをお詫び致します。でも、これが先週の、週刊アスキー編集部の偽らざる心境でした」との総編集長コメント。
また、前号(3月14日発売の週刊アスキー増刊号)から、東日本の物流システムが十分に回復するまでの間、全記事ページをPDF化し、公式サイトで無償公開することも発表し、称賛の声を得た。
やはり(出版社や)編集チームの基本的な姿勢が大切。これからのブランディングは、こういった社風や体質といった‘らしさ’が自ずと表れ、それが消費者の心にどう響くかが問われるのではなかろうか。読者を導くとか仕掛けるという一方的な構図は失われていると考えた方がいい。またAERAがもし、話題になって売れ行きがよかったと結果オーライで考えていたら、それはマーケティングとしても経営としても間違いである。
なお、AERAの2011年4月4日増大号の表紙はこれ。スタイルを通さず妥協したのか、それはわからないが。
ACの広告や本件など、それ自体は(他の課題と比べて)さほど重要なことではないが、その背景に議論の余地がありと思い、書いてみた。