ケンブリッジ語録#23 失敗したら死ぬと思ってないだろ?
僕が勤めるコンサルティング会社、ケンブリッジには、厳しいプロジェクトの現場で生まれてきた「語録」がある。今回はこれ。
失敗したら死ぬと思ってないだろ?
賛否両論ありそうですが、昔の僕にはグッと来た言葉でした。
「死ぬと思っていないだろう?だから同じミスを繰り返すんだ」
「今度同じミスしたら、代わりに俺が刺しますよ?」
昔、プロジェクトマネージャーにこんな事を言われた。(今見るとすごい事を言うマネージャーだ)
言われた時は結構驚いた。「いや、確かに死ぬと思ってないけども(笑」と思った。
僕は「正確にやる」というのが苦手で、例えば、資料を12ヶ所修正しないといけないとすると、1ヶ所修正を漏らし、別の1ヶ所は修正をミスってしまうのだ。そしてよくミスっていた。
「死ぬと思ってないでしょ?」
そりゃそうだ。修正を漏らしたくらいで大げさな・・・。
・・・でも、そう言われてよく考えてみると、別の疑問が浮かんできた。
確かに、失敗したら「死ぬ」とは思ってない。・・・。
じゃあ、失敗したら「どう」なると思っているんだろうか?
自問自答してみると (1ヶ所くらい漏れてもどうってことないでしょ?大げさだなー) という心の声が聞こえてきた。
実に恥ずかしいことに「資料の修正など仕事のうちではない、やっつけ仕事で良いだろう」と軽んじていたのだ。
同時に、「俺が本気を出すのはここじゃない」とも思っていた・・・。
そこで一つ気が付いた。
・・・じゃあ、俺いつ本気出すんだろう・・・?今この瞬間に120%の力を出さないで、いつ出すんだ?
これは僕にちょっとした衝撃をもたらした。あれ?何かおかしい・・・。この時から、試しに全力投球してみるようになった。
全力投球してみてわかった重大な気付き
そうして全力投球してみたら、もう一つ重要な事に気付いた。(こっちの気付きの方が大事)
「失敗してもどうにもならないし」と思って、適当に仕事をするのも、「失敗したら死ぬ」と思って全力投球するのも、労力にほとんど差はないということ。
厳密にはほんのちょっと工夫したり、ほんのちょっと一手間掛けたりするのだけど、大した手間じゃなかった。
例えば、適当に仕事している時は、
- とりあえず資料を開く
- 何も考えずに最初から順番に修正をする
- 以上
だったのだが、全力投球しようと決めた時は、
- 漏らさず修正するためにどうすればいいか30秒だけ考える
- 作業に入る前に修正箇所を確認してメモをする
- 順番に修正する
- 最後にもう一度修正漏れがないか確認する
という流れに変わった。余計にかかる時間はわずか数分。全力投球によって失ったものはほんの少しの時間だけだった。
でも、代わりに得られるものは計り知れない。完璧なアウトプット、周囲からの信頼、そしてもっと高度な仕事が得られる。
さらに「工夫する能力」まで手に入る。
全力投球して120%の力を出すから、120%が当たり前になってくる。どんどん能力が高くなる。死ぬ気でやってみることで世界が変わる。
さて、最近「死ぬ気で全力投球」してますか?
コンサルタント谷澤さんのコメント
前回の語録「チャレンジしろよ死ぬわけじゃないんだから」にあったチャレンジしても死なない環境も大事ですが、この心構えも必要だと思いますね。
私もプログラミングする時、結合テスト以降でバグが出たら、腹切る覚悟でやれとか言ってました...。そのくらいの心構えで挑み続けた領域は劇的に成長するような気がします。
かかるストレスは半端ないですが...。
コンサルタント榊巻さんのコメント
両方必要というのはその通りですよね。人の成長を考えた場合
①チャレンジしても死なない環境
②チャレンジを歓迎する周囲
③死ぬ気でチャレンジする本人3つ揃わないとダメってことなんだと思います。
コンサルタント為野さんのコメント
今回の語録は特に響きました。
①チャレンジしても死なない環境
②チャレンジを歓迎する周囲
③死ぬ気でチャレンジする本人本当にその通りですね。
「環境」「周囲」という言葉には、プロジェクト内だけではなくて、会社全体にも当てはまるのではと思いました。
PJ内で死にそうになったら、プロジェクト外の先輩が感度を高めて相談に乗ってくれる、前PJのPMやメンバーも心配して声をかけてくれる。そもそもPJにアサインされる時点でアサインを考えている経営陣が「この人なら頑張ってくれるはず」と背中を押してくれているはず。そこまで会社に用意してもらっておいて、本人が死ぬ気でやらないともったいないですよね。
もっとも、死にそうなときはそんな周囲の支えに、なかなか気づかないときが多いですが...。