「交渉術」の違いに感じられる「日本人」の特殊性
先日、TVで見た話であるが、上海万博がらみで中国に進出したラーメン屋さんが、ビルの上の階の店(バーかスナックみたいな店)の不良工事により開店が遅れそうなため、不良工事の改修や開店遅れによる休業補償を求めて訴訟を起こそうとしているとのこと。
このラーメン屋さんは中国現地での代理人を雇っており、中国人同士の交渉になっているが、相手の中国企業は休業補償の方には応じず、不良工事の改修だけを折半で負担する方向で和解を申し出ており、両者の話し合いは平行線のままであった。で、交渉は決裂し、お互いに「誠意がない」と相手を罵り合って、加害者側の責任者(スナックのオーナー)が交渉テーブルから立ち去るところでビデオが終わった。
TVのコメンテータは「国民性の問題で、困ったものですね」と語っていたようだが、私には間違いなく「交渉術」の問題に見えた。
というのも、MBAコースには「交渉術」の授業があり、
- 世界ではどのように交渉ルールを教えているか?、
- 実際に各国人種はどのような運用を行う特徴があるか?
という感覚を思い出したからである。
日本発のグローバル・スタンダードなどを考える際に、提案の中身だけでなく交渉プロセスも重要だと思うので、授業を受けた当時を思い出してみた。
セオリー その1) BATNA、ZOPAを相手に悟られないで「吹っかける」ところから、交渉は始まる。
BATNAとは、Best Alternative To a Negotiated Agreement。
いわば、「これ以上の悪い条件になると交渉を決裂させても仕方ない」と考えられる「最低妥協点」である。
ZOPAとは、Zone of Possible Agreement。交渉の双方の最低妥協点から想定される妥協点の幅である。
お互いが、交渉条件を吹っかけてZOPAを探りながら、「プロセスとして妥協を重ね、最終的な交渉妥結に至る」というのが、教科書で教えている交渉術である。
従って、お互いに、「交渉のスタートポイントは、相当の吹っかけが入っているはず」と考えるのが、グローバル・スタンダードでの交渉術的な考え方。
そして、交渉のプロセスを通じて妥協の痛みを「プロセスとして平等」に共有し、結論に至る。
「ゲーム理論」的に語るならば、
- お互いが相手のBATNAを共有して最初から中間点で素早く妥協すると、お互いの利得の合計は最大化する。
- ただし、相手を出し抜いて(自分のBATNAを隠して)、相手のBATNAギリギリのところで妥協すると、自分の利得は最大化する
- 従って、お互いに相手を出し抜こうとして、交渉決裂という「囚人のジレンマ」に陥る
という関係になるだろうか。
ところが、この種の交渉事になると、日本人はなぜか「最後の落としどころ近辺」に最初の提案を持ってくると同時に、「最初から妥協してやっている」という感覚のためか、途中でのプロセスではなかなか折れない。交渉そのものが面倒くさいのか、「結果の平等」志向が強いとでも言えるだろうか。。
しかも、「一つ勝ち取ったら、”同じロジックでもう一歩前へ、だって相手はこのロジックを受け入れたのだから”」と(妙にLogical に)考える人が多いが、それは交渉を「蒸し返す」ような話なのである。
これでは、「今まで話し合いに費やしてきた時間はなんだったのか?」という話になり、すべてが白紙撤回されてしまうリスクが高まるだけなのだが、どうもその辺を理解されないケースも多い。
まるで、日本人だけが「交渉術の教科書が違う」か、「そもそも教科書が存在しない」状態なのである。
そして実際には、最初に提案したところから歩み寄りの交渉が始まるので、大抵は、妥協負けするか、破断するかのいずれかである。
一方、世界の人種は”ルールに則り、獰猛”である。私の出席した授業では、同じグループで「中華圏(香港、シンガポール、中国本土)チーム vs 中近東チーム(インド、パキスタン)」 という Team のネゴシエーション合戦を見た。
本当に、「絶対に折れない」し、授業中のロールプレイングゲームとは言え、お互いに「相当厚かましい」のである。
「もしかして、インドと中国あたりの国境での物々交換みたいな商談って、こんな感じかな?」と思うほど、「お互いにガメツく、且つ、交渉決裂を恐れない」のである。
「ビジネススクールに来るような人種」という特徴かも知れないが、「ゲーム理論のシミュレーションゲーム」などを見ていても、(ゲームだからこそなのか)相手を出し抜いて最大の効果を出そうとすることに快感を見出しているようだ。学生の多くは、「ゲーム理論」そのものは理解しているし、「双方の協力で、全体の効用を最大化できる」ことなど百も承知なのである。
にもかかわらず、「個人の効用最大化」を目的として行動する傾向が強いように感じる。「それこそがビジネスである」と言わんばかりに。。
この辺が、常に「和を持ってと尊し」となす日本文化とは大きな違いに感じられる。
ちなみに余談ではあるが、ロシア人のクラスメートから教えてもらった笑い話で、ZOPAというのはロシア語で「オシリの穴」を意味するそうだ。
従って、「ZOPAが広い・狭い=ケツの穴が広い・狭い」という話になり、教授や生徒に大ウケだったことを覚えている。
セオリー その2) 相手を「交渉のテーブルに乗らないと損」だと思わせる。
そもそも交渉と言うのは、「先にお願いしたほう、妥結したいと思っている方が不利」。
恋愛ごとにおいて、「惚れたほうが貢ぐ」のに似た関係である。
最近で言うと、買い手市場の就職・転職活動と同じようなものであろうか。
「交渉人」という映画がきっかけで日本でも同種のテーマが刑事ドラマなどで語られるようになったが、人質立てこもり対策でも、考え方は同じである。
まず、電気・ガス・水道などのライフラインを遮断し、相手(=立てこもり犯)が交渉に応じざるを得ないようにさせることである。
少なくとも気持ちの上で、「ある程度は妥協しないとまずいことになる」と思わせることが重要だ。一般的に、日本人は「人がいい」ために、差し込まれなくても最初から「妥協モード」になってしまっていることが多い。
セオリー その3) 交渉の期限も、「お互いの合意」として最初に決めてしまう。
こちらが何とかして交渉を妥結したい場合、時間がかかりすぎると不利になるのであるが、「交渉できる時間の余裕がないことを知られる」こと自身が、交渉を不利な立場に追い込むことになる。
例えば、運転資金を借りる場合に、「xxx日までに入金しないとクレジット枠がなくなる」というケースで、こちらの期日が迫っていることを知られて足元を見られ、高い金利を飲まされるような場合である。
こういう事態にならないようにするには、「3日間交渉して結論がでなかったら話を流す」という風に最初にきめておくことである。
こうすれば、時間切れでヤキモキするのは、両方とも同じになる。
少なくとも、「こちらに期限があるという弱みを悟られるリスク」は少ない。
さて、最初のラーメン屋さんの件であるが、私ならどうするか?を考えてみた。
「今、TV中継が入った。この交渉がTVで紹介されると、日本の客は来なくなるだろう。それに加えて、現状復帰されるまで、下の階段やエレベータの入り口でストライキをやるつもりだ。どうせ自分の店は開店できないのだから。」というpressureをかける。BATNA、ZOPAを探るとともに、相手が交渉のテーブルについて妥協を考えざるを得ない状況を作るのである。我ながら、「嫌味な奴だな」と思うが、「人がいいだけではGlobalでは生きていけない」というのも、厳しい現実なのであろう。