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デジタルでBtoBセールスはできるのか!?

IBMに入社して今日で20年

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今日4月1日は多くの会社で入社式が行われます。20年前の今日、私は今の会社、日本IBMに入社しました。当時はこんなに長く勤めるとは思っていませんでした、というように書くことがこういう振り返りには多いように思いますが、私は当時から長く一つの会社に勤めるのではないかと漠然と思っていました。
私は別にIBMで高いポジションについているわけでも、スーパーエバンジェリストでもありませんので、私を直接知っている人以外には面白みもニーズもないかもしれませんが、IBMの営業ってこんなやつもいるんだ、といったことで興味を持っていただける方もいるかと勝手に考え、これまでの歩みを簡単に振り返ってみることとします。

私のITとの出会いは小学校6年生のときにMSXを買ってもらったことです。ゲームを購入して遊ぶのがメインであり、マイコンBasicマガジン(ベーマガ)を買って投稿されたプログラムを入力したりはしましたが、自分からプログラムを作ろうとまではしませんでした。高校生のときにはPC9801を入手しましたが、傾向は同じ。今から思えば、ゲーム機としては高価なものとなってしまいました。
大学は経済学部。1年生の必修授業で情報処理入門というのがありましたが、ここで学べたのは(と今記憶しているのは)、タッチタイピングをマスターして、ワープロでの文書作成がなんとかできるようになったことくらい。教室に置かれていたPCはFMRだったように思います。
4年生になって就職を考えるにあたり、何となくメーカー系の方に関心を持っていました。その中に、IT系もあったのです。当時の自分は、ITもメーカーの一種、くらいにしか考えていませんでしたが、それはさておき、子どもの頃からパソコンになんとなくではあっても触れてきたことが、IBMへの入社の決めての一つにはなったと思います。ただ、外資系という選択肢をとった同級生は周囲にほとんどおらず、その意味では自分としては少しチャレンジングな選択をしたと少し高いテンションだったことを覚えています(当時の日本IBMはあまり外資系と思われていませんでしたが)。

採用にあたって、全員SE(IBMではIT Specialistと称していました)として採用すると言われていて、採用面接のときにはあなたはお客様と向き合うSEと、社内で黙々と打ち込むSEとどちらがいいですか、と聞かれました。私は後者の方がいいと回答したのですが、「そうかなぁ、君は違うんじゃないかな」と言われてしまったのです。
おそらく、SEの適性はないと思われていたんですね。2月にもらった配属通知には営業部と書かれていました。あれ、SEとして採用されたんだよな、SEも営業部に所属なんだろうな、と理解しました。ところが、4月に出社すると、完全に営業の部門でした。
正直、社交的でもない自分は営業を避けたいと思っていたので、どうしようかと考えたのですが、新人研修の際のプログラミングでは全くちんぷんかんぷん。営業適性があるとは思えなかったのですが、SEはとても無理とあきらめ、このまま営業の道でいこうと決めました。

配属されたのは医療システム営業部。病院にシステムを提案するチームでした。当時はまだ電子カルテがない時代で、オーダリングシステムという医師から検査や投薬の指示を出すシステムが徐々に入り始めたタイミングです。そのほか、医事会計システムが主なソリューションで、私は先輩について病院に営業に行くようになりました。お客様の要件を確認し、IBMのソリューションでそれをカバーすることができるのか、SEと検討して要求仕様書に反映させていく。もちろんPMや技術者の支援がなければ何もできない状況でしたが、ソリューション営業の基本がここで培われたと思っています。当時は、いまほど社内体制も分業化が進んでおらず、私も営業として広い範囲を担当していました。たとえば、AS/400というビジネスサーバー(俗にいうオフコン)の構成も自分自身が構成ガイドを見ながら作成していました。構成が正しいかどうかを注文時にはチェックされますが、あっているかどうか冷や冷やしたものです。また、お客様先にPCを設置して回ることも往々にしてありました。古い他社製PCを取り外してピカピカのIBM PCを設置することはうれしかったのですが、病院という環境にも関わらずホコリまみれの設置場所があったりして閉口したことを覚えています。また、今でもそうではないかと思うのですが、病院に電子カルテやオーダリングシステムを入れる際には全病院的な運用確認、リハーサルが行われます。それに患者役として院内を歩き回ったり、時には医師の方に操作をサポートしたりしたことも懐かしい思い出です。

5年ほど担当した後、札幌に転勤となりました。札幌でも当初は医療機関を中心に担当しましたが、途中からは大学や自治体も担当するようになりました。東京での勤務と異なり、自分ひとりでやらなければならないことが多くなります。スペシャリストに北海道まで来てもらうことは容易ではありません。こうした環境のもとで、いかに効率よく案件を進め、必要な支援を必要なタイミングで得るための施策を考えながら営業活動をしていくすべを学んだように思います。同じ北海道内でも飛行機で出張することもたびたびあり、移動に時間を取られることは避けられない悩みではありましたが、反面、プライベートでは様々なところに足を延ばし、充実した生活を送れたのは幸いなことでした。

ここまでは、お客様の業種は限定されていましたが、製品やソリューションはすべてが担当という営業でした。

(次回に続きます)

IBM 中山貴之のWeb Page (平日は毎日更新中)

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