【便所・便器の薀蓄シリーズ】御手洗、みたらし、お手洗い
どうも、私の責任で、ITmedia の高潔なブログサイトが、一変、便器のブログだらけになってしまった。えぇ?ほんとに私の責任?上田さん、それともばんちょ~?まっ、そんなことはどうでも良い(どん!)。
さて、今回は『御手洗』のお話。御手洗って建物に入れば、トイレの入り口に書いてある。でもそれ以外にも、この御手洗は日本人の姓のひとつでもある。キヤノンの御手洗会長(経団連会長でもある)はそのお一人。
キヤノン(キャノンではない)の御手洗氏とは、実は二十数年前にお会いしている。就職活動で、私はキヤノンを受け、実はかなり良いところまで行っていた。配属される課まで決まっており、課長が同姓同名だったので、呼ぶときどうしようかね、ワッハッハ!という状態だった。
その年、現御手洗会長は、キヤノンアメリカから帰ってこられ、平取(取締役)に就任されたばかり。で、初めての役員最終面接、御手洗さんがおもむろに、「あなた、成績低いねえ」とのたまわれた。
「おっさん、ちゃんと書類みてないな。おれは全優だぞ。」と思って、「いえ、そんなことはないと思いますが」と。ああっ、言っちゃった。
落ちた。
御手洗氏が、生まれて初めて新入社員面接で落としたのは、この私です。なんて、正しい判断なんでしょ!キヤノンの躍進の理由がわかりますね。
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それはさておき(っつうか、意味ないし)、この御手洗ということばは、「おてあらい」と言う言葉から来ている。というのは、真っ赤な嘘です(どん!)。
神社に近づく際、人の持つ穢れを拭うため、神社の前の御手洗川にて手をあらい、清めるのだ。川がないところには、御手洗と書いた大きな石の水場がある。ここで、手を洗い、口を漱ぐ。もともと「みたらい」と読んでいたが、いまでは「みたらし」とも読む。ここでおしっこしちゃ、ダメだよぉ。
つまりは禊をする場所の意味だ。下鴨神社の御手洗川のそばで始めたお団子がみたらし団子なんですね(正しいですよね、京都のみなさま!)。京都では、『おみた』と呼ばれているらしい(ほんとですか、京都のみなさま?)。
トイレを手洗いと呼び始めたのは、昭和に入ってからだそうで、それに丁寧語尊敬語(美化語)として「お」を付けたということらしい。ご不浄、厠、お手洗い、いずれにせよ、用をたすにしても、清潔を保ちたい。そこからの穢れ、いまなら細菌やウィルスだろうか、をきれいにしたい。これは、かなり日本独自の潔癖症に由来しているように思われる。抗菌性のボールペンなんて日本でしか考えられないですものね。
この湿気と自然力の強い、ウィルスなどが発生しやすい土地柄の日本では、こうやって穢れを嫌う文化を作らなければ、絶滅していたのかも知れず、こういった昔からの知恵が宗教の根源になっていたりするのでしょうね。