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表現者としてのバイオリニスト吉田直矢とその先に見える風景

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9月13日土曜日、すみだトリフォニーホールで吉田直矢とAPO(Accoustic Passihon Orchestra)+HANAのコンサートを聴いた。「クラシック界のジミヘン」の異名を持つ情熱のヴァイオリニストなどと、呼ばれたりしている。吉田 氏は、クラシックのバイオリンを学び、パリ・エコール・ノルマルに留学してはいるものの、クラシックの音楽にこだわっているわけではない。

第一部、『バッハのシャコンヌ』を弾きはじめたとたんに、ヨーロッパの古い街並みが目に浮かぶ。といっても、実際に訪れたことのあるのは、ウィーンやザル ツブルグだから、ドイツではないけれど、イメージはぴったりと合う。黒人霊歌の『誰も知らない私の悩み』では、ニューヨーク・マンハッタンから一時間以上 北上したところのハドソン川の風景やノースキャロライナの豊かな森が思い出される。

曲が進むと風景が目に浮かぶことが薄れ、ただ光を感じるようになり、音に集中し始める。サン=サーンスやサラサーテのツィゴネルワイゼンなどは、普通の演奏家とは別次元の音だ。

パガニーニの『パガニニアーナ』などは、吉田氏のソロだが、力があるので、力で押さえつけようとしている。しかし、固体でも液体でも気体でもないこの曲は、吉田氏の手からすべる。漏れる。吉田氏は10年かけて、この曲をものにすると覚悟をしている。 

日本には大勢のバイオリニストがいて、レベルも高いと思う。たとえば、CD image(イマージュ)などで曲を古澤 巌なども、葉加瀬太郎などといっしょに幅の広い演奏活動をしている。しかし有名になるには、技術や表現力だけでなく、プロモーターなのど、音楽以外の要素が必要だ。
 
多くの音楽表現者が、もっともっと表現する場所が広がるといいな、と思う。みんなが聞きに来てくれれば、すてきだろうな。生で、演奏者と時間を共有しながら、表現するものを直に感じることは、CDを聞いているだけでは得ることの出来ない感動だと思う。
 
演奏家というより、音楽表現者というほうが好きだ。楽譜に書いてあるものを演奏して、演奏する技術を聞いてもしかたがない。楽譜と対面して、そこにある作曲家の意図を、表現したいことを、別個の表現者として、自分のものにしていく。その結果を聴くのだ。
 
・・・・なんてね。まあ、そんなに力まずに。
 
ぜひ一度、吉田直矢とAPO(
Accoustic Passihon Orchestra)+HANAのコンサートを聴きに行ってみてください。

そうそう。きょうから、海外出張です。SIBOS という金融業界では、世界最高の世界規模のコンファレンスです。開催場所は、今年はなんとウィーンなので、ウィーンに行って来ます。また、観光なしです。朝、7時半から午後6時まで、お仕事・・・。orz

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