ひとつの国が滅びていく時の『現象』
世界や歴史を、偏らない視点で見ることができると、過去の史実が現在にも起こりうる現象であることを発見する場合がある。国際ジャーナリストの廣淵 升彦氏が書かれたエッセー『頭にちょっと風穴を』は、そういった現象のいくつかを紹介している。といっても、もともとこのエッセーは、『FoodBiz』 という食の隔月誌に書かれた物ではあるが・・・。
インカは高度な文明であった。(中略)。そうした彼らが、なぜもああも簡単に二百余名のスペイン人たちに屈したのか?
彼らは、この広い世界には合戦に弓を用いる文明圏があることも、車に荷物を乗せて運ぶ民族がいることも知らなかった。目に入る物しか見ず、発想が固定化した彼らは、自分たちを侵す異質の勢力や「意志」が、身近に迫っていることを想像することもできなかった。
この苛酷な世界で生き延びてゆくためには、いわば「精神の車輪」といったものが欠かせない。
「自国にはないが他の文明圏には等しくあるもの」「自国では通用するが他国では通用しない価値観」への、こだわりなく柔軟な思いも必要である。
もう一度記載する。
「自国にはないが他の文明圏には等しくあるもの」
「自国では通用するが他国では通用しない価値観」
「自国にはないが他の文明圏には等しくあるもの」には適応しようとせず、「自国では通用するが他国では通用しない価値観」にしがみついている、その国民と、インカの民との間に何の違いがあるのだろうか?
目に入る物しか見ず、発想が固定化した人に、目を開け、発想を柔軟にしろ、といっても動かないものだ。意志のあるものだけで、前に進んでいくしかない。私の選択は、金融の国際化での、IT にできることを、私のちからなどほんの微力だけれど実行することだ。