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【自分のルーツを探る】 「とおる」はとても由緒ある名前

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1977年のアメリカABCのテレビドラマ「ルーツ」は、アレックス・ヘイリー原作を元にしており、アメリカでは視聴率 45% を上げたドラマだ。アレックス・ヘイリー自身の自伝的要素もあり、黒人奴隷として西アフリカから連れてこられた一族を、時間を遡って描かれた物語である。 こうやって、自分の先祖「ルーツ」を調べていくのは、自分の現在を考える上で、やってみる価値があると思う。

私のルーツは、私ではなく、私のばーちゃんの弟が調べた。旧制中学・新制高校の先生をしていたひとで、一族に関わりのあるお寺などを巡って、古文書などを調べ、一冊の本を自費出版した。

私のばーちゃんの家系は、信濃追分の脇本陣だったのだが、さらにたどると、新田家につながるらしい。新田義貞などが出た系統。信濃追分はいまの軽井沢の西 部なので、山一つ越えると上州で、たしかに新田荘からは遠くない。このばーちゃんの家系には、里見家もいるが、これは南総里見八犬伝の里見だ。里見家もち なみに、新田家から出ている。

私のじーちゃんの家系は、北信濃の東側、志賀高原のふもとあたりの薬草を集めて漢方薬を製造・販売していたようだ。江戸の後期ごろからは、代々「平助」と いう名前を継いでいる。さらに遡ると、 足利尊氏の足利家につながっているようだ。我が家の家紋は、ふたつ引両といって、足利尊氏の紋とまったく同じだ。

まあ、たぶん、古文書もその当時のひとがなんかの理由でねつ造したものかも知れないし、足利尊氏よりも、北信濃の山の中を縦横無尽に歩き回り、薬草を摘んで商売をしてたご先祖様の方がかっこいいと思うのだけれど。

一応、私のばーちゃんの弟が調べたことが正しかったとして、ばーちゃん系が新田、じーちゃん系が足利だとすると、わたしなんぞ、血液の中で、「太平記」の 物語が展開されていることになり、なんの事やら、という気がする。足利と新田は、それぞれ土地の名前で、足利荘、新田荘とよばれる。足利も新田も、源義国 がご先祖様で、もっと辿ると、清和源氏、清和天皇につながる。源義国の子孫が、上州にやってきて、それぞれの荘に住んだので、足利・新田を名乗るようになった。

たとえば、私の親戚に高橋太郎さんという人が、浅草に住んでいるとすると、親戚の人は「浅草の太郎さん」とか呼ぶと思うが、足利尊氏というのも、足利荘の尊氏さん、なのである。もともと正式な名前は「源朝臣(みなもとのあそん)尊氏」だったりする。

そうすると私の正式な名前は、「源徹(みなもとのとおる)」になるのだが、その昔、同じ名前の人がいた。「源融(みなもとのとおる)」。百人一首の「河原 左大臣」で、嵯峨天皇の子供だ。822年生まれ、895年没。なぜ河原と呼ぶかというと、京都六条の鴨川のほとりに巨大な邸宅「六条河原院」を建てたから だ。

この「六条河原院」には、宮城の塩釜の風景を模した池を作り、海水を大阪の尼崎から運び込ませた。源融さん、実際に塩釜に行ったことはなかったが、想像して陸奥の国の歌を作ったりした。源氏物語の光源氏のモデルとも呼ばれている。能にも「融」という曲もある。

かみさんの実家は、この塩釜から丘ひとつ越えたところにあり、なんだか、因縁めいたものを感じる。

日本中の「とおる」さん、「とおる」という名前は、9世紀から続く、由緒もある名前なんですよ。ちなみに、「源融」の子 供は「源昇(みなもとののぼる)」で、日本中の「のぼる」さん、「のぼる」という名前も由緒ありますね。ちょっとした、トリビアになったしまいました。

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