病欠して初めて思う、会社における自分の存在意義
きのう、熱が出て会社を休んだ。おとといから、どうも扁桃腺が腫れ始め、きのうの明け方、気が付いたら熱が出ていた。トイレにいって、ちょっと吐いた。普段からうがいや手洗いをしているのだが、4月頃から扁桃腺がどうもイガイガして、つらかったのだ。
かみさんは、実家に帰っており、熱が朝になっても下がらず、なんとかeメールを立ち上げて、休む旨メールを送信し、気を失うように寝た。一度、昼過ぎに目が覚めたけれど、夕方まで倒れていた。途中、何回か携帯が鳴っていたのだが、取れなかった。きのう、電話した方々、すみませんでした。我が家の箱入り娘ネコのモモが、たまに顔を見に来て「あ、まだ生きてる。」ってな顔をして帰って行く。
夕暮れ、6時ごろ、ようやく、熱が下がってきて、メールを見始める。かみさんが帰宅したが、けっこう、冷たい。
きのうはミーティングが 3 件入っていた。ひとつはふたりのミーティングだったのでこちらはキャンセル、後は出た方が良かったのがひとつと、顔出し程度のミーティングだった。
夕暮れ、メールを見ながら、ふっとよくない思いが浮かんだ。きのう、一日私が休んだからといって、業務に支障をきたしただろうか。
ある製品について、ふたりでチームを組んで多くの作業を行っていて、きのうは定例のチェックポイントだったが、ミーティングをしなくとも、相棒はどんどん仕事を片づけてくれている。出た方がよかったな、と思うミーティングも、方向性は私が考えていた通りに進んでいる。顔出し程度のミーティングは最初から何も期待していないので、ほっておけばいい。
と、なると、私の存在って何なの、と思ってしまう。チームの方のワークロードはちょっときつくなるけれど、誰かが代理にやってくれたら、前進することに間違いはない。このチームを含む私の部門は、みんなそれぞれ、かなりの実力があり、仕事は自分から率先してあたっている。そんな部門にいるからこそ、自分の存在意義をもっと自覚しなければならない。
割り振られた仕事を時間どおりにこなしているだけでは、単なるヘッドカウント(頭数)にすぎない。よりよい品質を実現した、といっても当たり前だ。存在はしているが、「存在価値」とすれば、それは「ゼロ」なのではないか。その人でなければならない、という何かが無ければ。
ありきたりの言葉だが、それは「付加価値」だと思う。期待されている仕事以上に、優れた価値のあるモノ、コトを創造すること。それが、その企業や、しいては、IT業界全体に取って、意義のあることを実現して、初めて存在価値はプラスになる。
逆に存在価値がマイナスの人はけっこういる。その人がいると、ビジネスを潰したり、ありきたりのものにしてしまう人。また、過去に大きな付加価値のある仕事をしたのに、これから何か新しいことをしようという意気込みのない人。部長なんて呼ばれている中間管理職あたりが、かなり危ない。社長を始め「X長」と名のつく人の「存在価値」を考えるとき、この人がいなければ、この会社は存在しない、と思える人が何人いるだろう。
そういった意味では、新入社員も私のような古株も、実は同じスタートラインに立っているのだ。ただ、古株の場合、経験とか人脈といった、新入社員には持ち得ないものを持っている。しかし、新入社員には、若さと体力があり、結局、あいこでしょう。負けては、いられませんね。かかって来い (弊社は新入社員は採りません)。