近くて遠い国韓国、のマッコルリ
我が家から歩いて、ほぼ1分のところに韓国家庭料理・焼き肉の「えん」という店がある。韓国人の料理人と女将がやっている店で、きのうも行った。ここのは、旨いのである!この店、前は「温(おん)」という名前で、やはり韓国人夫婦が経営していたが、どうやら国の親御さんが病気になったらしく、あっと言う間もなく韓国に帰ってしまった。「えん」の店は、「温」でバイトで働いていた人たちが引き取ったようだ。
昨晩は、「えん」のバイトの男の子が、先輩と友達を連れてきて酒を飲んでいた。3人ともたぶん20代前半、先輩はもしかすると20代後半だったかも知れない。飲んでいるのは焼酎ジンロの韓国直輸入物。400mlぐらいの緑色のビン。何本も飲む。焼き肉は食べず、韓国家庭料理をたくさん並べていた。
へーっと思ったのは、このバイトの男の子は、先輩に継ぐ時は、ビンを右手で持ち、左手を袖を押さえるような、韓国式の礼儀にかなった注ぎ方をするのだ。また、先輩から注いでもらい、飲む時はちょっと右を向き、先輩に向かってあごを上げないようにしていることだった。格好は、3人ともとってもラフな感じで、渋谷で見たら、普通の不良にしか見えないだろうけど、若くともちゃんと礼儀正しいのだ。
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韓国人とは、会社では何人も一緒に働いた事がある。上司だったり、同僚だったり。運が良かったのか、ひとりも悪い人はおらず、陽気で酒飲みばっかりだった。でも、韓国に行った事はない。
鄭銀淑(チョン・ウンスク)さんという紀行作家いて、韓国生まれ、韓国の大学院をでて日本に語学留学し、今は日本語で紀行文を書いている。髪の長い、韓国美人だ。東洋経済新聞社から「マッコルリの旅」という写真とエッセーの本を出版された。その本に写った景色が、なんか、日本の田舎の風景と似通っている。飲み屋(デポチプというらしい)のおっさんたちやおばさんたちが、日本のそこここにいる人たちと同じに見える。
デポというのは、ひょうたんを縦に割った、大きな椀のことで、チプは、「家」の事らしい(すみません、韓国語を知らないので、ご存知の方、間違いは訂正してくださいね)。日本語では「家」を「うち」というけれど、「う」の発音が消えて、たとえば「だれかさんち」のように「ち」になる。「ち」と「チプ(プの発音は小さい)」は似ている気がする。ということで「デポチプ」はでっかいひょうたんのお椀で飲ませてくれる店、ということだろう。
このデポチプで出されるお酒に、「マッコルリ」がある。鄭さんが「マッコルリ」と表記しているのだから「マッコリ」より「「マッコルリ」の方が発音としては、正しいのかも知れない。「マッコルリ」は米だけでなく、小麦や餅米などからも作られるようで、アルコール度数は6度程度。酸味や甘みに特徴のある醸造酒である。白濁しているので、まあ、どぶろくのようなものか。ビール、ワイン、日本酒以外にも、東アジアにはいくつか醸造酒がある。
「マッコルリ」は、農酒とか労働酒と呼ばれ、農業の傍ら、仕事をしながら、または終わった後に、のどの乾きをいやすお酒だ。焼酎だと酔いすぎてしまうかも知れないが、「マッコルリ」ならほんわか、さっぱり酔えるのだろう。発酵製品なので、体にも悪くなさそうだ。
この本を読んでいると、たとえば黄海側(韓国では西海)の全羅道は、山海の幸がほんとうに豊かで、さまざまな料理のあることがわかる。韓国というと焼き肉しか思いつかないのは、外人が日本食というと、すし、天ぷら、すきやきしか知らないのと、いっしょだ。ただし、焼き肉は、昔、元が占領していたこともあり、牛肉だと、日本では牛肉を15の部位に分け、アメリカでは35だが、韓国ではなんと120の部位にわけ、それぞれの料理法があるそうだ。
そういえば、朝鮮は、歴史的に古くは元に占領され、また、60年前までは、36年間日本に占領されていたのだった。この本でも、日本人カメラマンにいろいろな質問を仕掛けてくるおじさんの事が書いてあった。悪気はなく、韓国人の親しみやすさ、素直な感情表現の裏返しなのだそうだが、私がそんな場面に直面したら、どうしよう。
韓国人の感情表現のひとつに「恨」があり、「恨み」はなかなか忘れられないのだろう。日本人なら「水に流す」文化なのかも知れないが、韓国ではちょっと違うのだろう。友人の韓国人と昔酔ってディベートしたのは「日本は悪い」ということだった。日本は歴史上、2回朝鮮を攻めている。白村江と秀吉だ。私が、元といっしょに朝鮮も2回攻めて来たぞ、といったら、それは朝鮮主導でないから良いのだ、という。なんのこっちゃ。
この本に出てくる、おじさん、おばさん、「デポチプ」の女将、酒母(ジュモ)。そんな人たちと会ってみたい気がする。しかし韓国でも、地方と都会との経済格差がひろがり、若い人たちが古い物を嫌って、「デポチプ」や「マッコルリ醸造」の経営もたいへんなのだ、と書いてある。なおさら行って、話をしてみたいが、日本の占領時代について質問されたら、言葉につまるだろうし、それに、私は韓国語が話せない。
でも、いつか近い将来、行ってみたいなと最後の勇気を出させてくれる言葉がこの本の帯に書いてある。読むたびに目に涙がたまってしまうのが、ちょっと困る。
「田舎で農家のおじさんと飲んでいて思った。人は働いて、酒飲んで、笑っていれば幸せなんだ。」