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本がなくては、生きてゆけない

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永井さんの「賃貸か?持ち家か?」で、私の家にある本が3万冊だということについて、触れていただいた。すごい、と書いていただいたのだが、内訳や現状を書けば、私のお馬鹿度合いがご理解いただけると思うので、投稿します。

まず、3万冊の計算だが、大体、1m程度に本を積み上げるとすると、雑誌や文庫本など薄いものもあるので、平均一冊1cmとして、この1mの積み上げで100冊になる。これが300個あることになるが、本棚だと、ひとつあたり天井まで積み上げると、大体、1000から1500冊ぐらいになる。こうやって計算した。

3万冊はおおよその数なので「白髪三千丈」のたぐいであり、25000冊かもしれないし、30000冊を超えているかもしれない。まあ、あまり意味のある数字ではない。この中には、私の本だけでなく、かみさんの本も入っており、たぶん5000冊ぐらいだと思う。

小学校のころから、本を貯めだし、高校の一年生の時、2000冊を超え、うれしかった事を覚えている。本を捨てる事ができず、本は貯まる一方となった。引っ越しをする度に、荷物の半分以上が本になった。結婚して新居を借りたとき、一部屋を本部屋にした。あとは寝室と、かみさんがピアノを教えていたのでピアノ・ハモンドオルガンの部屋と、そして台所だった。

どんなふうに本を買うかか、というと、気に入った作者の本はみんな買ってしまう。司馬遼太郎さんの本はほとんど持っていると思う。鬼平犯科帳は文庫本では全刊、火の鳥全刊、アキラ全刊、究極超人あ〜る全刊・・・・。などなど。つまり、シリーズものは全刊買う。お、エルキュール・ポアロは日本語も英語も全刊ある。でも椎名誠さんの場合は、随筆はほとんどあるが、小説は(つまらない)ので買わない。とかね。案外小説の本の冊数は少ない。

さらに、その時々で研究している事についての本はまとめ買いをする。たとえばデータベース、ビジネス・インテリジェンス、マーケティング、経営などなど。その場合、英語の本も日本語も集める。この収集が蔵書量を増やした原因だと思う。今は、かみさんの実家のある、宮城県多賀城の歴史(多賀城は700年代初期から中期に建てられた、大和政府の奥州政庁である)と塩竈神社の関係などの本を集めている。

雑誌もBEPALや山と渓谷など数百冊あるかな。かみさんの楽譜も多い。それから、あまり中身を読まずに買うので、失敗も多い。ユダヤ人に関する本や自費出版的なのは、無駄本が多い。でも、捨てられないのだ。だいたい、まんが本も含め、週20冊は最低買っているようだ。多い時は両手に紙袋いっぱいになり、指にひもが食い込むが、これがまた、うれしい重さなのだ。

永井さんが、年間100冊は読むとして、と書いていただいたが、寝る前に3冊ぐらいは読んでいる。土日は貯め読みの日。だからたぶん、週に20冊以上読んでいる。研究用の本は部分読みのものも多い。この前、ふとんの周りをちょっとだけ整理したので、ちょっとだけきれいになったが、まだ、500冊ぐらい残っており、朝起きると、枕の周りは本だらけになる。うれしい。

コンピュータの画面も四半世紀見続けてきたし、毎晩、暗いところで本を読むので、眼が悪くなり、今の眼鏡をかけて0.1、裸眼では0.01になってしまった。0.01は、視力を計る用紙の前に立ち、足の位置を示す線から、ちょっとづつ前に出て行き、1/10 まで近づいてやっと一番上の輪のかけている部分が見える状態である。実は私は見えないのだが、それ以上の測定はしないので、0.01が最弱の視力なのだ。

こんな私だが、本が読めなくなるのは、とてもつらい。だから視力もこれ以上悪くしたくない。ところが、今度は老眼まで始まる始末。あ〜あ。


追伸:どうやらオルタナティブ・ブログのポータルのデザインが一新された。新しく、ブロガー・カテゴリーというのができた。私は絶対、エンターテナーだと思ったら、そこにはなく、マネージャーのカテゴリーに入っている。う〜む、私はマネージャーの任ではないし、けんじろうさんとookiさんといっしょなのだが、これはおじさんたちを集めた、ということなのであろうか?できれば、きょこさんたちやマリコさんの方がうれしい・・・・・・・・・。

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