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朝青龍問題に日本の国際感覚を考える

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あまりスポーツとか、マスコミに話題になっているトピックスをブログに書くのは好きではないのですが、朝青龍の問題で、また、日本人の感覚の不思議さを感じているので、あえて投稿します。個人的な感想ですので、その旨、ご理解いただきたいと思います。

私は普段テレビを見ないのですが、夏休みで田舎に帰っており、何の気なしにテレビを見ていたら、この朝青龍の過熱報道があり「あーぁっ」と、またがっかりしてしまいました。この問題の推移はテレビで嫌というほどやっているので、割愛します。

朝青龍は、朝青龍である前に、「ドルゴルスレン・ダグワドルジ」というモンゴル人である、ということをつい忘れてしまっています。彼はモンゴル人の英雄であり、はるか遠い日本という国で、相撲という「スポーツ」で一番強く、チャンピオンになったのです。モンゴルの英雄像というのはどんなものなのかわかりませんが、はるか昔のジンギス汗を想像すると、きっと強きものこそが王・英雄なのではないでしょうか。

相撲協会は彼を横綱にしたのですが、相撲や横綱というのは、日本の古来からある原始的宗教と密接に絡み、日本人にとっての重要な価値観を育ててきました。横綱とは、いったいなんなんでしょうか。横綱は神社に土俵入りを奉納します。雲竜型と不知火型がありますが、これは、陰と陽を表し、守りと攻めの意味でもあります。相撲自体は神事のうちには入りませんが、大きく関連しています。

近年外国人力士が横綱になる場合があります。日本で生まれ育っていない「スポーツマン」が横綱になったとして、果たして、どこまで横綱の価値を肌身で感じられているのでしょうか。曙は堂々と横綱を務めましたが、彼はたいへん頭も良く、「木鶏」の事を習いました。木鶏は中国の故事ですが、曙はこの双葉山の例を覚えて、横綱を演じていたのではと、想像しています。

朝青龍も頭の良い人だと思いますが、同時に「ドルゴルスレン・ダグワドルジ」というモンゴル人であることを誇りに思っており、モンゴルの人たちとは、リーダーとして接していると思います。子供達のサッカーに参加したのも、遊んでいたのではなく、モンゴルの英雄としての責務だと思ったのだと、考えます。おそらく、骨が折れていようと、モンゴルの子供達に笑顔で接したのだと思います。

しかし日本人は、朝青龍を横綱としか見ていません。その大きな溝は、彼をしても埋めることができません。日本人としては、その辺を理解してあげて、モンゴルに帰してやればいいと思います。

もし、メジャーリーグのイチローや松井英喜、松坂などが怪我をして治療しなければならなくなって、本人が日本で治療したいと言ったとき、アメリカ側で、「彼はメジャーリーガーの有力選手だから、アメリカで治療すべきだ。日本に帰るなんてとんでもない。」といったらどう思いますか。同じ事を今、我々は言葉に出しています。モンゴルにも報道されていると思います。

日本人にとって当たり前だと思っていることが、他の国ではまったく在り得ないことはたくさんあります。一応、日本は文明国家だと思われているのですから、双方の現状、考え方、歴史的背景を踏まえた言動や行動を取るべきだと思います。

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こんな例があります。弊社の説明資料(スライド等)では多くの写真を使って、イメージを膨らませています。この写真は一箇所に集められ、集中管理されています。このなかに、相撲取りが休みに携帯を使っている写真があるのですが、髷を結って、畳の上に布団を重ね、上半身裸で下はぶかぶかのパンツです。

これを見て、数カ国のサンのメンバーが、これは下品で野蛮だから、使うな、という反対意見が出て、喧喧諤諤の討論になりました(メールでですが)。特にフランスと中国が反対派、アメリカは「良いじゃん」という賛成派。私は、これは相撲取りで全然下品でも野蛮でもなく、これは日本の誇る競技である、と言ったら、それ自身が野蛮であるとある中国人からの反論がありました。

中国人にとって、特に北京を中心とする北部では、ふんどしひとつで、裸でぶつかり合う相撲は、どのように考えても格の高い人のすることではないのです。思い出すと、水泳やボクシングなど、裸で行うスポーツでは、妙に中国人が少ないと思いませんか。いたとしても、南部の人たちなのでは。

ある国の人にとって誇りであることが、他の国では悪いことになる可能性を常に頭に入れておくのが、今後の日本人は必要なことではないでしょうか。ちなみにこの写真は、破棄されず、一定期間使われました。(周期的に写真を換えるのでいまは使っていません)。

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