PKI市場、複雑化するシステムと量子時代の脅威が成長を後押し
テクノロジー調査会社のABI Researchは2025年8月19日、、パブリックキー基盤(PKI)市場の最新予測を発表しました。
調査によると、企業システムの複雑化、クラウドやマルチクラウドの普及、IoTデバイスの拡大に伴い、PKIの導入需要が急速に拡大しており、2030年には市場規模が149億ドルに達すると見込まれています。背景には、デバイス認証や非人間アイデンティティの増加、証明書ライフサイクルの短縮、さらには耐量子暗号への移行に備えた「クリプトアジリティ(暗号の柔軟性)」への対応が挙げられます。
PKIは暗号サービスの基盤として長年利用されてきましたが、量子計算機の登場が現実味を帯びるなか、その存在感は一段と高まっています。地域ごとの規制やデータ主権の違いが市場の成長パターンを分けており、ベンダーは縦割りの業界戦略だけでなく、地域特性に即した展開が求められています。
今回は、PKI市場の拡大要因、地域別の成長動向、IoT時代の応用、そして量子時代を見据えた展望について取り上げたいと思います。
システム複雑化が招くPKI需要の急拡大
企業のIT環境は、クラウド、ハイブリッド、マルチクラウドと多様化し、オンプレミスを含めた統合管理が難しくなっています。加えて、生成AIの普及に伴い、ユーザーアカウントにとどまらない「非人間アイデンティティ」――API、ソフトウェアボット、IoTデバイスなどの認証対象が急増しています。これにより、従来のアクセス制御やパスワードベースの仕組みだけでは対応が不十分となり、PKIが果たす役割が拡大しています。
PKIは公開鍵と秘密鍵の組み合わせを用い、電子証明書を通じて通信の真正性やデータの改ざん防止を担保します。証明書の有効期間はかつて数年単位でしたが、近年はセキュリティ強化のため数カ月に短縮されつつあり、証明書ライフサイクル管理(CLM)との一体運用が不可欠となっています。この動向は、証明書の発行・失効を効率的に行う自動化ソリューションの需要を高め、市場全体の成長を押し上げています。
地域ごとに異なる成長パターン
市場のリーダーは依然として北米ですが、アジア太平洋地域の急速なデジタル化が追随し、地域格差は縮小しつつあります。日本や韓国では行政のデジタル化や金融機関の高度なセキュリティ要件が需要をけん引し、中国では国家主導のPKI活用が拡大しています。
欧州では「データ主権」の概念が根強く、クラウド利用にも地域内データ保管が求められるケースが多いことから、ハードウェアを基盤とするPKI需要が高まっています。一方、ラテンアメリカでは政府主導の電子身分証明や国民IDシステムが進展しており、国家PKIソリューションが新たなビジネス機会を創出しています。こうした地域差は、PKIベンダーにとって単一の標準化アプローチではなく、規制対応を踏まえた柔軟な戦略が不可欠であることを示しています。
IoTと非人間アイデンティティの台頭
IoTデバイスの爆発的普及は、PKI市場において最も動的な成長分野を形成しています。スマートシティのインフラ、工場の産業用ロボット、医療機器など、接続デバイスの認証と通信保護は、セキュリティリスクと直結する課題です。これらの分野では、スケーラブルかつ低遅延で動作するPKIソリューションが必要とされ、従来のエンタープライズ用途を超えた応用領域が急速に広がっています。
さらに、PKIはウェブPKIやエンタープライズPKIといった既存の用途でも安定した需要を維持しています。クラウドベースの認証やSaaS型ビジネスの拡大に伴い、ユーザーとアプリケーション間の信頼関係を担保する基盤として不可欠な存在となっています。企業はPKIを単なるセキュリティ機能ではなく、事業継続や顧客信頼の基盤と位置づける傾向が強まっています。
量子時代を見据えた「クリプトアジリティ」
PKI市場をさらに加速させているのが、量子計算機の台頭です。量子計算機が既存の公開鍵暗号を解読可能になる時代が到来するとの懸念から、各国政府や標準化団体は「耐量子暗号(PQC)」の導入を進めています。こうした背景の中で注目されるのが「クリプトアジリティ」、すなわち暗号アルゴリズムを将来にわたり柔軟に切り替えられる能力です。
PKIは証明書の発行と管理を通じて、暗号基盤の変化に対応できる点で有効です。証明書ライフサイクル管理(CLM)との連携が進むことで、アルゴリズムの移行を滑らかに行うことが可能となり、量子時代のリスク低減に寄与します。ベンダーにとっては、相互運用性やプラグイン型の拡張性を備えたサービスを提供することが競争優位を左右する条件となるでしょう。
今後の展望
PKI市場の成長は、企業システムの複雑化と量子時代の到来を背景に、今後も加速すると予測されます。しかし課題も少なくありません。証明書ライフサイクルの短縮化は管理負荷を高め、自動化やオーケストレーションの導入が不可欠です。また、地域ごとの規制やデータ主権要件は、グローバルに事業を展開する企業にとって障壁ともなり得ます。
一方で、IoTや非人間アイデンティティの拡大は、PKIに新たな成長機会を提供しています。特に製造業や医療分野では、PKIを組み込んだセキュリティ設計が事業の信頼性を左右するようになるでしょう。加えて、量子コンピューティング時代に備えたPQC移行は、今後10年の大きな潮流となり、PKIはその実装を支える「中核技術」として位置づけられる可能性は高いと想定されます。