叱るということ:方法論なんてどうでもよい、今や他人に関与することのほうが大事
他人が何か足りないことをした時、どのように気がつかせ、行動を改善していただくかは難しい。
それで、叱る考察が色々なされ、そのための方法論が編み出されるわけだが・・・
Specialオルタナトークを読んで(特に大木さんと小俣さんの間に入る年の私は共感することが多いのだがそれでも)、なぜか開き直った私。
方法論を考えるのは一切やめて、今日からスタッフにもっと声をかけようっと。
世代も違う、バックグラウンドも違うで、弊社のスタッフに注意をする時はどうしようと今までも散々悩んでいる。過去自分が受けたお叱りで納得いかなかったものは反面教師にもしたい。そのあげく、よくあるのがこのパターン。
「う~ん、あれはまずいぞ、注意しなきゃ」
「でも、今言ってもよくないだろうな、少し冷静になってからか。いやいや、鉄は熱いうちに打たなければ。今言わなきゃ意味ないか」
「さて、どうやって言おうかなぁ。ちまちま言ってもモラルなくすし。でも間接的に言っても伝わらないぞ。」
「感情的に叱らないほうがいいよなぁ。でもこれはもう3度目だぞ。いっそのこと、私が怒っているということを伝えたほうが心に響くのでは?」
~と、このように考えること(独り相撲)10分。
「そうだ、直属の上司と相談してみよう」
スタッフのためにどうするのがよいか討議(練習相撲)が30分。
そして考えあぐねて、結局何もしない。(本番なし)
突如、マザーテレサの言葉を思い出した。「愛の反対は憎しみではない。 無関心だ」
愛があれば、方法論は二の次、方法論を思いあぐねて、何もしないのは無関心につながる。
ひと昔前は、この他人からの干渉がうるさかった。しかし、今やビジネスの世界では先輩も皆余裕がない。そして、昔のように先輩が力で抑え込むことを許す土壌もなくなりつつある。このままでは後輩に積極的に関与する時間もインセンティブもなくなってしまう。
それは後輩にとっても、先輩の英知を受け継ぐチャンスを逃すということだ。もったいない!
私もブログにこれ以上時間をとられず、早速実行に移すことにしよう!
ちなみに、マザーテレサの言葉を突如思い出したのは、先日、私が息子の世話をせずに新聞を読んでいたら、夫にこの名言を言われたからである^^;
<過去の関連エントリー>
2006.11.23叱るのも怒るのもどちらも大事
2007.3.17叱られ上手