オルタナティブ・ブログ > プログラマー社長のブログ >

プログラミングでメシが食えるか!?

叱るときに感情は無用:相手のレベルにあった指導を

»

オルタナトークネタで。

昨日の社内ミーティングで、会長から「私は長年、相手の成長を思って指導したり叱ったりしてきたが、それは間違いだったかもしれない」という話がありました。当社の会長は私より20歳年上で、ほとんどの社員と比べても人生の大先輩です。会長は気が短い上に広島出身で、頭に来たときにはまるでやくざのように怒鳴ります。もっとも、最初から怒鳴るわけではなく、何度言ってもできないときなのですが。。

会長の要求はとても高く、たとえて言えば、それこそ経営者目線を新入社員にも求めるくらいのレベルを求めます。当然、ほとんどの社員はついていけず、怒鳴り散らされたり冷たい言葉を受けたりして、やる気がなくなり、「言われることしかしない人」になるか、「会長の悪口を言いふらす人」になるか、「会社を辞める」ということになります。

ちょうど大木さんの「誰のために叱るのか?自分のために決まってるじゃん」の内容がぴったりの感じでしたので、その紹介をしました。相手も会長と同じように高い意識で将来を考えている人なら、会長からの指導はとてもためになり、会長もとても頼りにできるという、相思相愛の関係になりますが、相手が「まあ、普通に仕事ができて、生活に困らなければ良い」という人であれば、指導は単に会長が自分のためにしているだけで、相手にとってはいい迷惑なのです。そして、残念なことに、後者の方がはるかに人数は多いものです。とはいえ、そういう人もそれなりにいないと仕事は回りません。むしろ、そういう人をたくさん効率的に回せる状態にできないと儲からないものです。

会長は「結局私が自分でやらなければ、誰にもできない仕事がたくさんあり、それを引き継いで欲しいと思っていろいろ指導してきたが、できるようになれた人はまずいなかった」とも話していました。

私は、「人の意識を変えるのはとても大変で時間がかかる」と考えています。従って誰でもいいからと採用して、その人を自分が望むような人に育てるのは非常に難しいのです。なかなか育たないので、途中で頭に来てしまい、怒鳴り散らして辞められてしまいます。あるいは反感を持たれていい加減な仕事をされたりもするでしょう。それよりも、「こういう人を望んでいる。いっしょにこういう仕事を楽しくやらないか!」というメッセージを発信し続けて、自分が望むような人に来てもらう方がはるかに確実なのです。

私はホームページ・著書・ブログなどで、「自分はこういう考えでこういう仕事をやっている」「自分はこんな人間だ」「こんな技術で活躍するのは楽しい」というような情報を発信し続け、とても良いメンバーに来てもらってきました。おかげで、私でなければできない仕事はほとんどなくなるくらい、メンバーが受け継ぐ・・・というより、さらに発展させてくれています。メンバーの方から「もっとこうしませんか?」「こうさせてください!」と来ますから、私が「君はどうしてこう考えられないのだ!」などと説教臭い話をする必要はほとんどありません。もちろん、たまに「叱る」というか、気になる点を注意することはありますが、感情を入れる必要はほとんどありませんから、「怒ったり」「怒鳴ったり」することはまずありません。

いろいろな方から「今晩お食事でも」とお誘いいただいたときにも、大抵は「喜んで!」と出かけていきますので、「シーエーディーさんは暇なのですか?」と聞かれることもありますが、「私以外は結構忙しいですよ」と答えるくらいです。私がいなくても仕事はどんどん進みますから、私は安心して社外の方との交流もできますし、そんな会社なのでお客さんも安心して任せてくれるのだと思っています。

「トップがいないと仕事が回らない状態」というのはナンセンス、ということは多くの本で語られています。それがわかっている人は、たとえば朝の坂本さんの言うように「代表取締役用務員」の意識を持てるようになります。上から目線で「怒鳴ったり」するなど論外なのです。メンバーのやる気を削ぐだけです。しかし、「良い人を集める」「育てる」ことができていないから、仕方なく「怒鳴ったり」しているのですが、それがますます悪循環に陥るのです。

余程個人的に気に入った人で、長い時間をかけてでも育てるぞ、という人以外は、育てるのは難しいものです(自分の子供でさえ、なかなかうまく育てられないくらいですからね)。相手に高いレベルを求めすぎるから感情が入り「怒鳴ったり」することになってしまいます。最初から自分の望む人を集めるか、求めるレベルを相手に見合うものにして「使う」という考えで接する。それが、長く良い仕事の関係を作るポイントではないかと思っています。

ちなみに、「自分が必要と考える人に集まってもらう」ことは、今のメンバーの重要な課題でもあります。すでにメンバーは自分の事業の将来を思い描きながら行動していますので、それにマッチした人は、やはり「自分が必要と思う人」を彼ら自身が集めなければならないのです。

いずれにしても「怒鳴って」後で良かったということなど、ほとんどないでしょう。

ちなみに、私は数少ない「怒鳴られて育った人」だと思います。若い頃に会長から怒鳴られ続け、「今に見返してやる・・・いやいや跪かせてから辞めてやる(言葉が汚いですが)」と思って取り組んだからなのですが、そんな人はほとんどいないでしょうね・・・。

Comment(0)