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あえてやらないという判断

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人間は引き算より足し算が得意なようだ。

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********全体会議の話から******************
繰り返し行う仕事は、何かミスが起こると、再発防止のためにプロセスを見直します。正確性を高めるための仕事の基本です。

プロセスの見直しには、工数が増えない見直しもありますが、ミスを防ぐために工程が増えるような見直しも多いと思います。

その際に是非してほしいことがあります。
それは全体最適の観点から、その工程を足すことが適切なのかという再考です。

先日私はあるイベントの開催運営に携わりました。
毎年担当が変わるにもかかわらず、毎年成功裏に終わらせており、引き継ぎの素晴らしさを実感するプロジェクトです。

翌年の担当者が困らないようにと、反省会も開きます。
あそこをあのようにすればもっと良くなる、と仲間内で健全な意見がでてきます。
そこで、はて、と私は思ったのです。指摘はその通りなのですが、それを引継書にいれるのがよいのかと。

正直私は、いただいた引継書を全部理解して、その通りにやることはできませんでした。
そして、今回の改善プランをいれることで、その引き継ぎ書はさらに複雑になることでしょう。複雑になったことで、別のミスを誘導しないか、そして、これはボランティア活動特有の話ですが、そもそも大変そうだと引き受け手がいなくならないか、と心配になったのです。

やるという判断より、やめる・あえてやらないという判断のほうがはるかに難しい。
なぜなら、ほとんどの事柄はやらないよりやったほうがよいことばかりだからです。
しかしある地点を過ぎると、時間がかかりすぎる、お金がかかりすぎる、複雑すぎて返ってミスが起こる、誰でもできないのでやる人がいない、などと弊害も増えてきます。

よく引き合いに出されるのはプレゼン資料を良くするためとは言え、ギリギリの時間まで手をいれないと言うことです。時間のない中、もう1%良くしようと思ったが故に、それが思わぬ別の間違い(10%のインパクト)を引き起こす可能性があることを恐れるからです。

つまり、こういう判断をするには、高所から、オポチュニティコスト(機会費用)、その選択をすることで得る利益と、その選択をしないで別の選択をすることから得る利益(または大きくなるリスク)を天秤にかけて判断するしかありません。

みなさんも時々立ち止まって、全体最適の観点から、その選択肢をあえて行わないほうが良いことがあるのか、考えてみてください。
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秋はイベントが何かと多いシーズン。これからいくつ運営するのだろう??
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