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働くということ:理由を考えないで済む幸せ

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自分で言うのもなんだが、私は理屈っぽい。(夫と二人して理屈っぽいので、息子は輪をかけて理屈っぽい!)
その私が言うのもなんだが、「理由を考える」ことを辞める選択肢はありだなぁと思う。

例えば、「なぜ人を殺したら駄目なのか」
一生懸命理由を説明してくださる方がいるけど、そんな質問をすること自体に意味がないと私は思ってしまう。「駄目なものは駄目」が答えではいけないのだろうか?理由を説明したから殺人が減る、わけではないだろう。

例えば「なぜ睡眠をとるのか?」「なぜご飯を食べるのか?」
理由を説明できないわけではないのだろうけど、研究者以外にその理由を探して意味があるのだろうか?

さて、前置きともかく、本題の大木さんからの問いかけ「なぜ働くのか?」

これを考える意義は、「働きたくなくない」「働くべきではない」等の理由で、「働かない」選択肢があるからなのだろうな。(そこが、前質問たちと違う)
しかしながら、私にとって、それは、疑うものではない(働かないという選択肢がない)ので、正直なところ理由を考える意味はないのだ。

そして、仕事をしようか本当に悩んでいる人にとっても、「その理由を考える」ことはあまり助けにならないと思っている。世の中のことにすべて明確な理由があるわけでもないし、理由がないことをやっちゃいけないこともない。考えるより、「働いて答えを探せ!」派なもので。(迷っている時ってそういうもんでしょう?)頭より、体(精神含む)が答えを出してくれる派というべきか。

え~っと、ここまで横レスだったが、大木さんの質問に最後に真正面から受け止めると・・

「働くこと」はより多くの人とかかわり合いをもち、楽しいから。
人の役にたつことも嬉しい、自分が成長することも嬉しい、社会から認められることも嬉しい。

つくづく人間(私)って社会的動物なのだと思うのである。自分のために働いて、それで世の中に喜ぶ人がいるのであれば、なんて素敵なことでしょう!



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