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●人、●%、●億円…メディアにあふれる「数値」から、世の中のことをちょっと考えてみましょう

【---】 解決すべきは雇用なのか、就職なのか

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 テクネコ加藤さんパンチ佐々木さんが、拙著『雇用崩壊』(アスキー新書刊)をお読みいただき、その読後評も含めて、昨今の雇用情勢に対して示唆に富んだメッセージを発信してみえます。それに対して、私は何かメッセージを返さなければと、お二人のエントリーを何度も読み返しながら、この数日間悶々と考えてきたのですが、なかなか答えが見つからずにいます。

 私が拙著の中で記したことは、昨今の雇用危機に対する処方箋や提言というより、若者のキャリア観についてでした。もちろん、内定取消に代表される雇用問題と、若者の就職意識は無縁ではありえません。ですから雇用全般についての私なりの見方をベースに考えを巡らしたつもりです。しかしながら、政府や企業が取るべき雇用政策を考えようとした場合、その対象となるはずの労働者、その中でも若者たちの就労意識との間に、どうしてもギャップを感じてしまうのです。

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 そもそも雇用とは、採用する側からみた言い方です。これは暴言に聞こえるかもしれませんが、私の中では、いい就職ができるかどうか、満足する仕事に就けるかどうかというのは、基本的に就職する側の意識の問題だと思っています。極論すれば、たとえ景気が低迷しても、たとえ雇用が崩壊したとしても、シアワセな就職は可能だと。もちろん難易度の違いや選択肢の多少はあります。でも、自分が何をしたいか、どう働きたいか、仕事で何を得たいか、といったハードルは、自分の内なる問題ではないでしょうか。

 私がこう考えるようになった理由は、これまで積み重ねてきた数多くの取材体験に起因します。私が実際に見聞きした限り、就職や転職を通じて満足を手に入れた人たちは、多くが曲がり道を歩きながら、自分の努力と強い意志と、一歩踏み出す勇気と、多少の運で自分なりのキャリアに辿り着いています。もちろん好不況の波に翻弄される時もあったはずですが、振り返るとき、彼らはそれをほとんど口にしません。シアワセを手にした人たちの歩んできた道に残っているのは、環境や景気といった外的要因とは一線を画する、自分との葛藤、すりあわせの軌跡だと感じるのです。

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 今の世の中で浮き彫りとなっている雇用問題への対策については、上に記した個人の意識の問題よりも以前にある、最低限の雇用機会を守るために何をすべきかということであれば、必要性を強く感じます。派遣労働者が契約期間中に雇用契約を解除されたり、新卒者が獲得した内定を取り消されたりすることは、法律的な解釈はともかくとしても、社会通念上許されることだとは思いません。

 ただ、これらを防ぐ対策が何らか講じられたとしたら、若者たちの就職はよい方向に進むのかといえば、私にはどうしても疑問があります。拙著『雇用崩壊』の中で、私はこう書きました。

  • …(前略)…かつて親世代に反逆し、なんとか親から独立・自立したいという願いを、就職や進学で果たしてきた私たちの世代感覚は、今の若者たちにはない。厳しい現実にあえて反抗せず、つかず離れず親と仲良く暮らし、遠い将来より今日の幸せを大事にし、ぬるま湯につかって苦労を買わない人生を選ぶ。そこには、「○○がしたい」「○○になりたい」といった自分の意志が見られない。いや、意志・希望・野心はあるのだが、厳しい現実の前では、無駄な抵抗だと諦め、自分のキモチを押し殺しているのかもしれない。でっかい夢を描いてもかないっこないという超現実主義に甘んじているのかもしれない。こうして社会に巣立った若者たちは、何を糧にがんばってくれるのだろうか。たいした目標もないのに、次々と立ちはだかる荒波の中に突き進む力がわいてくるのだろうか…(後略)…

 若者たちが野心を持たず、働かなくても食っていけるのは、日本が豊かだからだとテクネコ加藤さんは指摘されています。私もまったく同感です。3年で3割が辞めてしまえるのは、辞めても食っていける豊かさがあるからです。こう考えると、政府が雇用対策を懸命に打ち出しても、若者たちが救われるのかどうか、やっぱり疑問が残ります。

 こうした対策よりも、加藤さんが「必要なのは雇用なのか」というエントリーの中で提案されたこと…政府の雇用対策は、企業に補助金を出して従業員を解雇させないことが中心のように見えます。マイクロビジネスで起業する個人に対する支援があってもいいのではと考えます…について、こうした視点の対策こそが大事なのではないかと、強く共感するわけです。

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 またパンチ佐々木さんが指摘された数々の問題は、雇用全般に関する構造的な問題だと思いますが、これらを雇用政策でカバーするというのは、なかなか難しいのではと感じます。これは雇用の問題というより、企業(しいては日本全体)が儲かるようにならなければ解決しない話だと思うわけです。枝野幸男氏が『雇用崩壊』の中で書かれた、内需主導経済への産業構造転換が正しいのかどうか私には判りませんが、少なくともそーゆー次元の問題なんだろうなと感じます。つまり単純な言葉で言えば、日本全体が元気にならないことには解決しないような、でっかい話だと。

 じゃぁどうすれば元気になれるのか。当然、精神論で解決できるような生半可な話ではないのですが、ここで私の頭の中を過ぎるのが、萎縮した若者たちの姿なのです。彼らが盛り上がらない限り、どんな政策を施しても、何も変わらない。そう思うのですが、ではどうすれば彼らの気持ちを盛り上げることができるのか。その答えが見つからないのです。佐々木さん、ごめんなさい。

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 このままでは終われないので、最後に2点ほど、乱暴な仮説と提案を示したいと思います。

 ひとつ目は、若者の意識が変わるのは、彼ら自身が食えなくなり、このままじゃダメだと自ら悟ることでしか解決できないのではないか、という辛い仮説です。親世代のスネをかじり、ぶら下がって生きるのにも限界があります。世代は確実に交代するのです。

 またフリーターにせよニートにせよ、彼らはまだ老後を迎えていません。彼らに老後が迫り、それこそ年金をもらうような時になってはじめて、それまでのツケを痛感するのではないでしょうか。逆にいえば、今が楽しければで、何とか食っていけたとしても、老いて働けなくなる頃にやっと判る。もしこの仮説どおりに進んでしまうと、解決までにはまだかなり時間がかかるし、また手遅れになってしまう可能性があります。これでは悲しすぎるので、それまでに手を打たねばなりません。

 ふたつ目。『雇用崩壊』の中で、若者のがんばる気力が萎えてしまった、夢を語らなくなってしまったのは、バブル崩壊後の閉塞した社会で大人たちが疲弊する様を目の当たりにし、がんばることや夢を持つことが無意味だと感じてしまったからだと、私は書きました。もしそうだとするならは、逆にがんばる大人の姿、夢を語り追いかけて生き生きする大人の姿を見せることが、一番の特効薬ではないでしょうか。もちろん、今までと同じような働き方、すなわち大企業のサラリーマンで終身雇用が一番、みたいな価値観ではなく、新しい就労構造を示さなければなりません。その時には、多くの方が指摘されているように、年齢や就労形態ではなく、能力と仕事内容で給料が決まるようなモデルを創出することが必要でしょう。

 これからやらなければならないことは、がんばることがシアワセにつながることを実体験している大人や若者たちの姿をクローズアップし続けることです。理屈で意識は変えられない。若者たちのキモチを動かせるのは、事実でしかないと思うのです。これはマスメディアの仕事でもありますが、国の政策としても取り組んで欲しい。つまり、雇用対策という企業側の視点ではなく、働く側からの視点でもお金と知恵を使って欲しい。そんなことを思っています。。。

 
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