【CA$2.10】多様性を受け入れるということ
UBCに来て20日が過ぎた。少しは慣れた、と言いたいが、なかなかそうは言えない。で、今日もバスに乗っている。
UBCはバンクーバーのダウンタウンから西に10kmくらい離れた郊外にあり、何かしらの用件で街に出ようと思うと、わたしのようにクルマを持たない人は、バスを使うことになる。バス路線はこの街をくまなく網羅し、それこそ縦横無尽に走っている。最近になってsuicaとかmanacaみたいな電子カードができ便利になったという。1乗車【CA$2.10=約170円】で90分以内なら乗り降り自由となっていて使い勝手がいい。 バンクーバーではバスを乗り継ぐなど当たり前なのだ。
この街の人にとって、バスはなくてはならないインフラだということがすぐにわかった。老若男女、イケメンもお嬢ちゃんもおばさまもお爺ちゃんもレイディも、肌の色や話す言葉もバラバラの人々が、一台のバスに乗り合わせる。そこには見えないルールがあると気付く。お年寄りが乗ってくれば若者は実にさりげなく席を立つ。乗降口はバス停に着くと乗降口が低くなる。誰もが乗り降りしやすくなっている。どんな人にも、普通に、優しい。
ベビーカーだって普通に乗ってくる。バスにはベビーカー用や車椅子用のスペースがある。ちょうどベビーカーが乗ってきた。何気なく近くの人がイスを跳ね上げてベビーカーを止めやすくしている。そしてまた普通なことに、赤ちゃんが泣き出した。母親があやしているがおかまいなしだ。これがまたパワフルで。でも、バスの中の誰も、まゆをしかめたりしてない。これもまた普通なことだ。
降りるときは、車内のどこからでも、近くのロープを引っ張るとブザーに連動してストップランプが点灯するようになっている。とてもシンプルだが、設置には高額な機械も必要ない仕組みだ。日本のバスのように、これでもかとブザーが取り付けられているような装備は要らないんだな。日本のバスのように録音されたアナウンスが「○○にはご注意ください」「○○にお越しの方はここが便利です」などなど、しゃべり続けることもない。でも、必要なサービスはすべて整っている。
降りるときは、扉を自分で押すと開く。そしてひとこと、運転手に向かって「Thank you」と声をかける。男女も年齢も人種も何も関係ない。若者ほど大きな声を出している。それがこのバスという乗り物に乗り合わせる時の、誰もが共通のマナーというか、配慮というか。いや、普通のことなんだろうな。この街にいると、「ありがとう」と人前で大きな声で普通に言える大人になれるだろうか。
バンクーバーはアジアからの移民が多く、また街の歴史からも、いろんな人々が共存している街と聞いてきた。その、多様性を受け入れるとは、どういうことなのか。わたしのようなおのぼりさんがこんなことを書くと歴々からお叱りを受けそうだが、たとえば、わたしがバスの中で見た普通のできごとが、多様性を受け入れるということなのかなと、ふと思った。