【70.4%】 ITの利便性がもたらす弊害を考える~夏休みの自由研究
子どもたち、特に小学生にとって、夏休みの宿題のハイライトは、やっぱり「自由研究」でしょうか。自分の身の回りの疑問や興味から、何かしらテーマを決めて、調べたり、作ったりするアレです。最近はWebでちょっと調べれば、「こんなテーマはいかがですか」「こんなふうに進めましょう」「こうやってまとめましょう」みたいな、大変親切な、かつ、ある面過剰サービスが見つかります。たとえば環境について調べてみようと思ったら、「酸性雨試験キット、販売中」「1年間の気象データはココ」といった具合で、たいした苦労もすることなく、宿題ができあがってしまう気すらします。中には「自由研究応援セール開催中」というのも。コレにはまいりました。
調べている中で、ふと感じたのは、夏休みの自由研究をテーマにしたサイトで、子ども向けではなく、親向けに作ってあると思われるものが結構多いということです。また自由研究をテーマにしたセミナー開催も多数ありますが、中には、子ども向けではなく、親向けのセミナーまでありますこうなると、さすがにちょっと違うんじゃないかなぁと思うわけです。自由研究は子どもの宿題ですが、いかに多くの親が、それに関与しているのか。関与する場合に、それがどの程度なのか。実態が気になります。
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ちょっと古い調査にはなりますが、株式会社アイシェアが2005年に行った「夏休みの宿題」に関する調査で、“夏休み課題に、インターネットを使いたい”と回答した方が【70.4%】だったという結果が報告されています。IT環境の進展度合から考えれば、今はもっと高くなっているのではないでしょうか。
「インターネットを上手く使って、友だちとはひと味違った自由研究に挑戦してみてはどうだろう」
これはある“自由研究お助けサイト”にあったフレーズですが、実際はまったく反対じゃないかと思うわけです。もちろんインターネットも使い方によっては大変効果的であり、自分で調べたことを裏付けたり、情報に厚みを持たせることもできたりしますから、すべからく「インターネット反対!」と思ってはいません。ただ、少なくとも、インターネットでちょっと調べて出てきた情報を鵜呑みにしたり、書き写したりしただけでは、“友だちとはひと味違う”どころか、“友だちとほとんど同じ”ような自由研究ができあがってしまうと思います。
私が偉そうに言うまでもなく、自由研究の意味・意義は、自分でテーマを考え、それを解決する道筋をたて、自分で調べたり作ったりする中で、成果を見いだしていく体験にあります。現在のインターネットにおける自由研究サポート環境は、サポートの域を超えているような危惧を感じます。もちろん、使う側の意識の問題なのですが、便利さに甘えてしまうことを、果たして止められるでしょうか。
自分も大学という教育機関に身を置き、子どもたち向けの講座を実施したりする中で、前述のような“余計なお世話教育”“お膳立て教育”の一翼を担っているのかもしれません。そう肝に銘じつつ、あえて提案してみたいと思います。
夏休みの自由研究には、パソコンを使わない。
IT全盛の時代だからこそ。自由研究の原点に戻って考えてみるいい機会ではないかと。。。