音楽の技術、システムの芸術
永井千佳さんのブログを読んでいると、これまで自分が音楽の仕事に対して持っていたイメージがずいぶんと違うものだったんだと思うことが多いです。
『ルネサンス時代の就職事情とは:永井千佳の音楽ブログ:ITmedia オルタナティブ・ブログ』
http://blogs.itmedia.co.jp/nagaichika/2010/03/post-1655.html
教会に保護してもらいつつ、音楽をやるというのはなかなか大変なことと思います。ましてや分野が芸術なだけに、自分の求める芸術性と仕事として求められるものとの狭間で悩んだ人もいたのではないか、と思います。
現代でも同じように、コンピュータが好きだからという理由で情報システムの仕事に就き、あまり技術的におもしろみのない仕事を担当してしまって悩むという話はよく聞きます。自分は最新の難しい技術をやりたいが、お客様は安定して使い古された技術を望むという狭間で悩むことは少なくありません。そこで自分の腕前を試せるポストを望んで仕事を変わるという話は珍しいものではありません。
Wikipediaの「芸術」にあるように、ラテン語のアルスもギリシア語のテクネーも「人の為すもの」という意味では同じですので、時代が変わっても技術と芸術を仕事とする悩みの本質は変わらないのかもしれません。200年も300年も前の音楽を聞いて「ほー」と思うのと同じように、googleやtwitterを支えるすごい技術が想定通りにばっちり動いでいることにも「ほー」と思いますので、そういう意味でもやはり似たもの同士という感じがします。
技術屋っぽい芸術家として、こちらのエントリから小学生の頃に漫画で覚えたハイドンの一生を思い出しました。
『音楽の変遷にも経済が関係している話:永井千佳の音楽ブログ:ITmedia オルタナティブ・ブログ』
http://blogs.itmedia.co.jp/nagaichika/2010/03/post-2dad.html
記憶が怪しいのでWikipediaで調べ直しますと、ハイドンは子どもの頃に聖歌隊に入り、声変わりのためにフリーの音楽家となり、貴族に仕えて、リストラされ、演奏旅行で大成功し、祖国に戻るもナポレオンによる侵略の真っ只中であり、自身は病気に苦しまされつつも音楽でオーストリア国民を励ましながら息を引き取ったということです。
ハイドンのエピソードで特に印象に残っているところは「告別」です。Wikipediaに
ハイドンの庇護者、ニコラウス・エステルハージ侯のために作曲された。作曲当時、ハイドンと宮廷楽団員は、エステルハージ家の夏の離宮エステルハーザに滞在中だった。滞在期間が予想以上に長びいたため、たいていの楽団員がアイゼンシュタットの住居に妻を送り返さなければならなかった。このためハイドンは、おそらくエステルハージ侯が進んで、楽団員の帰宅を認める気持ちになるように、終楽章で巧みにエステルハージ侯に訴えた。終楽章後半の「アダージョ」で、演奏者は1人ずつ演奏をやめ、ロウソクの火を吹き消して交互に立ち去って行き、最後に左手に、2人の弱音器をつけたヴァイオリン奏者(ハイドン自身と、コンサートマスターのアロイス・ルイジ・トマジーニ)のみが取り残される。エステルハージ侯は、明らかにメッセージを汲み取り、初演の翌日に宮廷はアイゼンシュタットに戻された。
とあるように「楽団員を帰宅させるために」曲を書いたということで何と良い人なんだと思いました。上司にしたいです。音楽として破綻させずにオーケストラのメンバーを引き上げさせていくということを実現するにはかなり技術的に高度なものが必要なのではないかと思います。「こんな事できちゃうんだぜ」と、ちょっと腕前をひけらかしているような気がしなくもないような。こういった曲を思いつく豊かな発想力とそれを実現する技術を持ち、それでいて部下の面倒見もいい。もしハイドンが現代に生まれていたらエンジニア系社長としてさぞかしIT業界を暴れまわったのではないかと思います。
いい話で終わるだけだとらしくないのでオマケを。ハイドンが祖国のために作曲した「神よ、皇帝フランツを守り給え」ですが、このメロディを使った神聖ローマ帝国、オーストリア帝国、ポーランド、ワイマール共和国、旧オーストラリア共和国、ドイツ第三帝国の6国が滅んでいるという話があります。
『5国と1皇室を潰したトホホな国歌』
http://www.onyx.dti.ne.jp/~sissi/episode-26.htm
その葬られ方も非常に特徴的だったハイドンですから、ひょっとすると呪いだったのかもしれません。ということは状態が回復されたということで今のドイツは安泰でしょうか。