美人は「コーヒー」を美味しそうに飲み、そしてじゃんけんにも強い!?
ここ最近週末ネタでタイトルにコーヒーの文字が登場することが多いですが(苦笑)加藤 恭子さんの「売り込み電話を社長につないでもらう方法w」について、自分の会社の恥にもなる事も含まれていたのでMixiのほうに友人限定で書き込んだのですが、そこで思わぬ発見をしたのでこちらのブログにも書いてみたいと思います。
社長というワードで掛けてくるかどうかは一番スクリーニングをする上で分かりやすいワードというのはCMパンチも同じです。
ただし、わたしの場合には電話が掛ってきて、相手側の電話を掛けている部屋の環境音で相手が社長と言おうが、個人名で掛けてきたとしてもある程度の判断つくのですが皆さんの場合にはいかがですか?
自分の会社でこの話をしてもあまり反応芳しくなかったのですが、「それは当然でしょ!」というご意見をいただいたり、社内でかなり綿密なスクリーニングのパターンやエスカレーション方法を検討したとのコメントをもらったので今回エントリとして書かせていただきました。
この手の話はいくらマニュアル化しても、反応してくれる個々人の素養で結果が大きく違ってくるとわたしは考えていて、
欧米であれば多種多様な人種の方々が仕事をしていくために機械的な処理の結果として、そのような差異は気にしないのかもしれませんが、思いっきり日本人で情緒や阿吽の呼吸、以心伝心をまだ必要としている旧来型日本人の私としては、自分の仕事上のポジションとして、最適な状況判断をしてくれる人に対しては当然印象は良くなりますし、同じマニュアルを使っても「なんでこうなるかな~」という人への印象は、前者よりもあまり良いものにはならない訳です。
ネットにはビジネスをうまく回していくための方法論や各種手法、概念など沢山の情報が溢れている訳ですが、こんな記事が目に留まりました。美人はなぜかじゃんけんに強いかどうかは私には判断つかないのですが(苦笑)一部を引用してみます。
特に差が出るのが「グー」だ。握り締めたグーに差があるのか。ある。はっきりある。そのこぶしの大きさだ。美人のグーは小さい。
手が小さいということではない。こぶしがしっかり握られているのだ。だから小さく見えるのだ。それがそんなに注目すべきことなのか。そうだ。注目すべきだ。
じゃんけん「ごとき」でしっかり力を入れるひたむきさが大事なのだ。ケーキの大きい方を目指すためにもしっかり握る気持が大切なのだ。確率論でなく、意欲だ。
これは何でも力んでしまうということではなく、力の入れ方をきちんとコントロールしている意識の問題である。だからグーの小さい人はコーヒーに砂糖を入れて、スプーンでかき混ぜる時、大きな音を立てたりしない。きちんとコントロールする。
グーが大きめの人は、力の入れ方に無頓着である傾向がある。チャックがうまく動かない時にむきになって壊してしまったりする。みじん切りしようと思った野菜が飛んでいってしまったりするのだ。ちょっとした時にも指先まで意識する習慣を持ちたい。それだけで「美人のもと」が増えていくのだ。
グーは小さく。パーは大きく。そんなことを考えるだけで、今じゃんけんで何を出すべきかについても、もう少し考えるようになる。考えた結果がはっきりした手のカタチになる。それだけで勝率は上がるのだ。
考えてみて欲しい。美人はなぜかじゃんけんに強い。じゃんけんに弱いと嘆いてばかりいる人は「美人のもと」がなくなりがちである。それは単に運の問題ではないのだ。それが本当に公平なのかもしれない。
この記事の一番最後、美人はなぜかじゃんけんに強い。じゃんけんに弱いと嘆いてばかりいる人は「美人のもと」がなくなりがちである。それは単に運の問題ではないのだ。それが本当に公平なのかもしれない。という部分ってすごく重要な気がします。
こちらの「グー」の例では、力の入れ方に無頓着である傾向があることと、指先まで意識する習慣を持ちたいという紹介をしていますが、
会社が用意したマニュアル、ネットに山積する処世術やビジネス手法などなど、これらを活用する上で無頓着さとちょっとした時にも意識する習慣が結果として、社会人という「ゲーム」の中で単に運の問題ではなく、ある意味公平な結果をもたらしていると考えると、最初に紹介した営業電話のスクリーニングの件にしても、なんとなく納得できるというか、ちょっとした素養と、これまたちょっとした努力(意識の仕方)で人事評価の面で、埋めようの無い差が生まれていくのだな…と感じたのでした。
ちょっと回りくどい書き方してしまいましたが、「考えた結果がはっきりした手のカタチになる。それだけで勝率は上がるのだ」ってのがすべてを物語っていますね(苦笑)