「夢」を「追う」ことと「諦める」ことの狭間はあまりにも遠い。
この半年間、自分の通勤経路にあるお店、特に飲食店が多数閉店を迎えた。
おでん屋、居酒屋、立ち食いそば屋、たこ焼き居酒屋・・・。オーナーが代わります、というのもあった。
そして、先日。たまに飲んだ帰りに立ち寄っていたラーメン屋もその日閉店を迎えることを店の前に掲げられた手書きのポスターにて知った。
そういう時に「残念・・・。」と言ってはいけないらしい、というのを5月頃だったか、BLOGOSの記事で読んだ。
元々は、2013年にcakesに書かれていた記事のようだが。
残念と思うのであれば、何故もっと通わなかったのか、とそこには記述されている。
それも一理ある。
しかし、自分の生活エリアや行動パターンで言えば、それ程飲食店に週に何日も通うことはできない。
事実自分には常連と言える程の店はそれ程存在しない。なのでお店のスタッフの人が自分のことを覚えてくれている所は極めて稀だ。
※覚えてくれている所は、回数それ程行けて無いのに覚えてもらっていたり。恐縮の限り。
ただし、「何か応援したい」という店があったり、「これ」というニーズを満たすならここ、と決めている所はあって、その時必要に応じてそこに伺うという感じ。流行には特に惑わされることはない。食べログの評価も特に気にしない。まずは行ってみて、また行きたくなるかどうか。それで覚えておいて、また何かの拍子に伺う。
先方にも生活がある、が、自分にも生活がある中で、可処分所得の中でどこまでそこにお金を落とせるかは別の話。
常連という店を作れば、その商売敵にあたるところにはお金を落とさない訳であって。八方美人かもしれないけど、それぞれがそれぞれとして存続してくれればいいな、と思う。だから自分は目的によって使い分けたり、たまに行くエリアによって「ここ」と使い分けたりする。というか、そのエリアに行った時には閉店と断れるかもしれないし満員と言われるかもしれないけどとりあえず顔は出す。
それは応援にはならないのかな。自問自答する。
前述のラーメン屋の手書きのポスター。「万策尽きて苦渋の選択」という店主の表現にその無念さがにじみ出ていた。
たかがラーメン一杯であるが、応援の気持ちを込めて。ラーメンを食べる予定は無かったけど暖簾をくぐる。
注文したラーメンを待つ間、店内のテレビでは貧乏自慢の女性が出演する番組をやっていた。「毎月13万円赤字なんです~」と明るく語る彼女は、今、自分で移動販売車で焼きそばを売っているとのこと。将来年商1,000万円を売り上げて、ショッピングモールなどに自分のカフェを出すのが夢らしい(それぞれ金額はうろ覚え)。
そのテレビはそのラーメン屋のカウンターからも見える位置に配置されていた。その時、店内は名残を惜しむかのように繁忙であったので、ラーメン屋の店主はその番組内容そのものを見てはいないと思うけど。
屈託なく「毎月赤字なんです~」と語るテレビから流れる彼女の姿と、「万策尽きて苦渋の選択」と書き記した目の前でラーメンを作っている店主。
「夢」を「追う」ことと「諦める」ことの狭間はあまりにも遠いな、と感じた次第。
そして、自分がたまにしか伺えないお店が、このあまりに少ない応援のレベルだけど、ずっと続けて行ってもらえれば、と思っている。
追伸:ここんとこずっと閉店ネタ扱ってるな。
※後で編集するかも。