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読めばベタに分かる、タイトルどおりのブログ

13歳のハローワーク

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「13歳のハローワーク」を買ってきた。

ベストセラーになった前作ではなく、新版の方だけど。

うちの息子ももう再来月で13歳になるので。読んでくれないかなぁ、と思いつつ、強制はしないけど。

今更遅い、という向きもあるかもしれない。いまどき、将来のことを考えるのはもっと早いのかもしれない。

話題になったイチローやサッカーの本田選手の小学校6年生の時の作文を読むと、まさに有言実行、という感じだ。

オルタナブロガーのお子さん達が将来に何になりたいか、それをもう決めていて、それに向かって進んでいくために、親としてどうフォローしていくか、というエントリーをいくつか読んだ気がする。

・・・それに比べてうちの子は・・・というより、そうやってもう早くから目指すものを決めておくんだよ、目指すだけじゃなくて、だったらどうしなきゃいけない?どうこれから過ごしていくの?を提示、いや示唆できていない親の問題なのだろう。

だから、”ベタ”かもしれないけど、一つのきっかけになってくれれば良いかな、と思って買ってきた。

しかし、そもそもで言えば、自分は人(=息子)のことが全く言える筋合いがない。

小学校6年生の時に、将来なりたい職業は、というのは電車の運転士、と書いた気がする。それはただ鉄道が好きだっただけだ。

中学校高学年の時は、既になりたい職業がどうの、ではなく、行きたい学校を言っていた気がする。その時言ってたのは、”一橋大学工学部”だったと思う。ご存知の方も多いだろうが、一橋大学に工学部はない。単にどこかで聞いた”一橋大学”という音の”響き”と漠然と、何かを生み出すことができるような”工学部”に行きたい、と思っただけで、何かの情報ソースできちんとそんな学校があるのかどうかも調べず言ってた気がする。浅はか極まりない。

高校の時は、電子楽器や音響メーカーの設計に行きたい、とか言ってた気がする。これまた、数学は好きなものの、物理や化学が苦手で、結局苦手なまま浪人生活も過ごしてしまい、何となくな感じで受けたうちの一つの学校に入ってしまい、その後、自分のなりたかったものを更に見失ってしまったのである。

当時はインターネットなんて無かったし、大阪の片田舎暮らしでは、それほどたくさんの生き方・生き様を見る機会も無かったから、というのは一つの言い訳。ただ、情報が集まるような場所にて暮らしていたら人生が変わったか、という自信もあまりない。

それでも生きれてるじゃねーか、というのも一つの見方だけど、今思えば、自分の生きてきた道は相当”ラッキーだった”だけじゃないか、とも思う訳で。何一つ、人に誇れるものが無い中、のんべんだらりと今を過ごしているような気がする。

という親父が、「これからの世の中厳しいぞ!」と言っても何も説得力無いのかもしれない。

だからせめて、そんな親父に頼らずとも、”自分で””何かを”見つけ出して欲しい、と。で、「13歳のハローワーク」を買ってきた訳だが、それもまた「息子自身の感性に委ねてんじゃねーの」、「逃げ根性で本を買ってきたんでしょ?」と指差されると、何の反論もしようが無い今日この頃である。

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