浙江省の旅 その1
浙江省。上海南部に位置するこの省は、直轄市を除くと、あるいは中国で一番発展している省かもしれない。しかも、この省は経済発展だけではなく、風光明媚であり、しかも歴史もかなり長い。経済、観光の両面において今後日本との繋がりがますます強くなる省なのかもしれない。
日本との結びつきは、奈良・平安時代まで遡ることになる。朝鮮の治安悪化により朝鮮ルートが使えなくなった遣唐使は、直接中国の寧波(浙江省)を目指したのである。有名な阿部仲麻呂も寧波で古今和歌集に収録されている歌を詠んでいる。また、奈良唐招提寺で有名な鑑真も同じく寧波から日本を目指して何度も航海を始めている。古代日本において中国文化は、中国北方・朝鮮経由ではなく、中国南方から直接日本に伝わったのが真相なのかもしれない。
時代を経ると、浙江省に中国の首都が置かれたこともある。北方民族である女真族が建国した金という国の圧迫を受けた当時の漢民族の王朝である宋は、首都を河南省の開封から浙江省の臨安(現在の杭州)に移して抵抗した。杭州に行くと、明らかにここは古都だな、という印象を受けるが、これがこういった事情に影響されるのかもしれない。
私は杭州へは3度足をのばした。初めての時は、杭州で中国黄頁という会社との会議のため、上海からの日帰り出張であった。杭州シャングリラホテル(http://www.greenholiday.com.sg/sha/h-shangrila/index.html)のレストランで会議を行ったが、当時はこの中国黄頁という会社がどのような由来がある会社かを知らなかった(本件は後述)。非常に時間がない日帰り出張であり、西湖(http://www.hznavi.com/teji/04_5_1/teji040501_index.html)もタクシーの車窓から眺めただけであった。
2度目の杭州は、たまたま週末を挟んだ上海出張があったため、同僚と日帰りで杭州へ足を運んだのであった。この時は日帰りとはいえ観光目的だったので西湖周辺をそれなりに歩いた。ただ7月の30度を超える猛暑の中だったため、長時間の野外観光は不可能であった。同じく杭州シャングリラホテルのレストランで冷たいコーラを飲んだがやけに記憶に残っている。最後の3回目の杭州は、昨年のゴールデンウィークに日本から純粋に観光で行った。このときはとうとう杭州シャングリラホテルに宿泊することになった。ゴールデンウィークの杭州は気温はちょうどよく、まさに観光日和と言えたが、日本のゴールデンウィークと中国のそれは、まさに重なっており、西湖の湖畔は中国語で言うところの人山人海という状態であった。
前置きが非常に長くなってしまったが、前置きだけ読むと杭州は単なる古都と西湖を売り物にした観光都市に思われるかもしれない。しかし、実は浙江省は中国のネットビジネスの発展と切っても切れない関係にあるのである。
以下、続く!