絶対権力に不慣れと思われる「これからの世代」に、むしろ「絶対権力に慣れた」自分ができることを考える
いわながさんのボ-イスカウト記事を読んで、なんて懐かしい、と思いながら1週間くらいいろいろ考えていたことがあります。
私の場合、親が素行を心配してか(爆)、中学校から入隊しました。地元熊本の第4団でしたかね。中学なんでいわゆる「ボーイ」スカウトですね。そのあと高校までやりました。当時は「ベンチャー」じゃなくて「シニア」スカウトと呼んでましたね、確か。
変な話、極端に負けず嫌いだったので、やたら修練にいそしみ、あっという間に胸章が「1級」になり、技能賞は20を超えて、制服に縫い付ける場所がなくなりました。いわゆる「タスキ」所持者となりました。タスキ所持者は、私入れて当時2人だけ、もう一人は1級も超えて「菊」だったかな、最上位の章まで昇級しました。当時ではかなりのスピード出世(?)でしたねえ。なーんか普通の勉強以上に頑張っちゃった気がします。
高校になると、シニアスカウトとしての活動の傍ら、同じ団の後輩である、ボーイスカウトの指導係として、隊長、副隊長をサポートする、「上級班長」(1名)「隊付」(2名)が、シニアスカウトから派遣されます。私もシニアスカウトとしての鍛錬と並行して、後進であるボーイスカウトの「隊付」として、活動の指導も体験しました。
(ボーイ)スカウトは軍隊主義です。
ですから上司、上長の命令は絶対です。
約束が果たせなかったり機嫌を損ねたりすると、それこそ軍隊的体罰が待っていました。といっても殴られるわけではないですが。当時の罰といえば、走らされるかメシ抜きか、みたいな感じです。。
所属するスカウト内のルールで、食事は調理開始から食後の片づけまでを全部で30分間でやらなければなりませんでした。片づけがちょっとでも雑になってたり、30分をオーバーすると、2kmのランニングがペナルティ。それが嫌だったら炊事途中で「食事を諦める」のでした。
30分ですからね。作るのにとまどると、片づけの時間から逆算して食事の時間がどんどんなくなっていきます。結局炊飯は諦めてタクアンかじって終わりにしたりとか、缶詰だけ開けてさっと食べて済ませるとか、そんな感じです。
おかげで今でも食事において炊事と片づけの効率化は、結構勉強になった気がします。どちらも一般的水準よりはるかに効率的で速くできる自信があります。ただ、ちなみに食べるのもすっごい早くなっちゃったけど・・・笑
そうやって絶対主義の中で育ち、そして大人になって、前職でも当時は軍隊主義(の派閥の中で育った気がします)でしたし、猛烈な絶対主義の中で社会人として育ちましたから、後輩・部下に対してそれを押しつけるデメリットもあっただろうけど(ゴメンナサイ)、絶対主義の中でストレス・フルな環境下におかれても、かなりのレベル、それに長期間耐えられる人間に成れた気がします。
対して、後進の世代には総じてそういう耐性は強くないでしょう。
悪いという意味ではなくて。だってそういう環境下で育ってないだろうから。
そういう世代に対して、耐性豊富で絶対主義の主役にも従者にもなれる自分が教えられる、伝えられることは何か。それを最近よく考えています。
絶対主義というのは、一見、主君がひとりオイシイという気もしますが、主君への仕え方次第では従者も意外と暮らし易かったりもします。
大事なことは、自分の成長機会を提供してもらいつつ、自分が主でない以上、自分は仕える身である点きちんと自覚し、徹底して奉仕して、一定の約束(上納)を果たし、そして予定以上に報いが得られるよう尽力することです。
最近、仕事依頼の一部に「教育」的要素がよく入ってきます。
せっかく外部から優秀な人材(スミマセン棚上げした表現で)を購買する以上、一緒に仕事している間にいろいろ帰属社員に技術や知恵を学ばせたい、という思いのようです。
しかし、上述のようなバックグラウンドの違いを考慮する必要があるのでして、私的には、「教育」というよりは「伝承」という思いでやっていくべきかと。そしてそれには、いろいろ考慮事項も多いのです。
一番の問題は、最近の世代は「叱られる/怒られるのが嫌」という姿勢が顕著です。つまりは失敗を恐れるというか。
大いに失敗しろとまでは言わないんだけど、失敗回避を念頭になんでも保守的に計画、判断していったら何も競争優位性は生まれません。自分を差別化することもできません。悪い意味の年功序列制の誕生であり助長です。自分が良い「エスカレーション」ができるかはすべて運次第、あるいは本質的じゃない根回しの賜物でおそらく決まる・・・
!そんなのつまんない。
っていうか、チャレンジングじゃない。
絶対権力が嫌だろうと、そこに存在していたら、上手に立ち振舞う以外にない。それは結構大事なこと。
私だって、権力は本音で言えば嫌いです。仕事上必要なときは確かにあるのだけれど、できれば持ちたくない。自分の名刺の肩書をみて態度が変わる人は嫌いだし、自分がいるときは優等生なのにいないところでは豹変する人は最低だと思います。そんなことが起きるくらいなら持ちたくないと思っています。
自分もいくらか努力したつもりもありますが、むしろ幸運があって今のような仕事や役職に就けていますが、正直ホント、ラッキーでした。建設的で具体的に十分なキャリアパスを作れたわけでも運用できたわけでもなく、周囲の献身的なサポートがあって今があります。なので、それを御裾分けしたいというか。
「伝承」しようという気持ちになる側からすれば、そういう気持ちにさせられることが重要なのであって、「後世に伝えるんだ」という強い意志を持てばあとは自然と後進に対して献身的になれるような気がします。例え、絶対権力者であってもきっとそんな気持ちになれるだろうと。栄枯盛衰、権力者もいずれは力がなくなります。どうせなくなるなら「伝承」したい人に引き継ぎたいですからね。
そして、そういう「伝承」を受けれた人こそ、絶対主義に対する耐性が強まるのではないかと。そういう人を増やしていきたい、そんな気持ちだったりします。
(好き勝手に長文失礼。。。^^;)