所得は世界94位、でも人的資本は57位----ベトナムの逆ピラミッドと、日本が抱える似た歪み
一人当たり所得では161カ国中94位。それでも人的資本の質を測る指標では57位。世界銀行が2025年に発表した拡張人的資本指数(HCI+)の結果が、ベトナムについて示している数字は、一見矛盾しているようで、実は多くのことを教えてくれる。
本稿では、このベトナムのケースを手がかりに、「教育で積み上げた資本を、どう実務に実装するか」という、実は日本にも通じる課題について考えてみたい。
参考:Vietnam.vn「逆ピラミッド型の『人的資源』という逆説:ベトナムの人的資本は所得水準を37ランクも上回っている」(Báo Pháp Luật Việt Nam)
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■ まず、HCI+という指標を確認する
世界銀行は2018年、「人的資本指数(Human Capital Index、HCI)」という指標を発表した。生まれた子どもが18歳になるまでに、その国の健康・教育環境のもとでどれだけの生産性を将来獲得できるかを測る指標で、シンガポール・韓国・日本・香港が上位を占め、日本は長らくスウェーデンと並ぶ高水準(0.82)の国として位置づけられてきた。
2026年、世界銀行はこの指標を拡張した「HCI+(Human Capital Index Plus)」を新たに発表した。従来のHCIが「18歳までの将来性」に焦点を当てていたのに対し、HCI+は就労期間全体を通じた人的資本の蓄積を、より広い視野で捉えようとする指標だという。算出方法が異なるため、従来のHCIスコアとHCI+のスコアを単純に並べて比較することはできない点には注意が必要だ。
このHCI+の2025年版(161カ国対象)で、ベトナムは300点満点中215.8点を記録し、57位となった。世界平均は192.5点であり、これを大きく上回っている。
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■ 「所得より37ランク高い」という逆説
このスコアが興味深いのは、ベトナムの一人当たり所得(14,415ドル)が、161カ国中94位にとどまっているという事実と併せて見たときだ。人的資本の順位(57位)が、所得の順位(94位)を37位も上回っている。
ASEAN域内で比較すると、この逆説はさらに際立つ。ベトナムのHCI+スコアは、一人当たり所得が9.2倍高いシンガポールに次いで、域内2位につけている。所得水準がベトナムの1.5〜5.5倍高いブルネイ・タイ・マレーシアを、人的資本の評価では上回っているという。
内訳を見ると、教育が123.8ポイントで指数全体を牽引しており、161カ国中64%の国を上回る水準にある。雇用も49.5ポイントと比較的堅調だ。一方で、健康は42.5ポイントにとどまり、世界平均を下回る、最も弱い分野となっている。
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■ なぜ「逆ピラミッド」なのか
多くの国では、経済的な豊かさが教育・健康への投資余力を生み、それが人的資本の向上につながるという順序で語られる。豊かさが先にあり、人的資本の蓄積が後からついてくる、という構図だ。
ベトナムのケースは、この順序が転倒しているように見える。所得水準はまだ発展途上にありながら、教育を中心とした人材の質は、すでに多くの高所得国と肩を並べる水準にある。「豊かさに先行する人材」----これが、記事のタイトルにある「逆ピラミッド」という表現の意味するところだろう。
歴史的な背景を踏まえれば、これは驚くべきことではないのかもしれない。ベトナムは教育を重視する文化的伝統を持ち、識字率の高さや就学率の向上に長年取り組んできた国である。人への投資が、経済成長に先行して積み上げられてきた結果が、この数字に表れていると見ることもできる。
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■ しかし、「先行」には歪みも伴う
だが、この人的資本の高さは、そのまま労働市場の健全性を意味するわけではない。記事で紹介されているベトナム大学・短期大学協会副会長の指摘が、この歪みを鋭く言い当てている。現在の労働力構造を「足元が粘土の上に立つ巨人」と表現しているのだ。
具体的なデータを見ると、その意味が分かる。大学卒以上の学歴を持つ労働者の割合は、約13%まで増加している。一方、中級レベル・短期大学レベルの技術スキルを持ち、実務に直接従事している層は、わずか8%にとどまるという。
先進工業国の典型的な労働力構成は、実務を担う中間層が厚く、その上に少数の高度専門人材が乗る「ピラミッド型」だとされる。しかしベトナムでは、高学歴層が実務を支える中間技能層を上回るという、逆転した構造が生まれている。学位は取得できても、実務で即戦力となるスキルを持つ人材が不足している----これが、「足元が粘土」という比喩の指す現実だ。
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■ 処方箋:進路の再設計と、企業を「第二の訓練の場」に
この歪みへの対応として、専門家が提案しているのは、教育制度そのものの構造改革である。
中学校卒業後の進路選択を見直し、職業学校・専門学校への進学率を50〜60%まで引き上げることを目標とする。同時に、職業教育を一般教育カリキュラムへ統合し、職業資格を一般入試の選択科目の代替として認める仕組みも必要だとされる。
そして、記事がとりわけ強調しているのが、企業を「第二の訓練環境」として機能させるという発想だ。学校教育だけで実務スキルを完結させようとするのではなく、卒業後に企業が実践的な訓練を担うことで、卒業生の能力と実務ニーズとのギャップを埋める。訓練制度の再構築と、弱点である医療(健康)分野の改善を組み合わせることで、既存の人的資本を最大限に活用できる経済へと転換できる、という見立てである。
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■ 日本にとっての示唆----形は違う、根は同じ問い
このベトナムのケースを、日本の視点から読むと、興味深い対比が見えてくる。
日本は、従来型のHCIでスウェーデンと並ぶ0.82という高水準を記録し、世界トップ級の人的資本国として位置づけられてきた。教育水準・健康水準ともに高く、「豊かさに見合った、あるいはそれ以上の人的資本」を長年にわたって築いてきた国である。ベトナムとは対照的に、日本は「所得と人的資本がともに高い、成熟した先進国型」のモデルだと言える。
しかし、以前このnoteで紹介した経済産業省の「2040年の就業構造推計(改訂版)」を思い出したい。この推計によれば、2040年の日本では、事務職が約437万人余る一方、AI・ロボット等の利活用を担う専門人材が約339万人不足するという、深刻な職種間ミスマッチが予測されている。学歴別に見ても、大卒・院卒の文系が約76万人余る一方、理系は約124万人不足するという構造も指摘されていた。
参考(筆者note):2040年、事務職は437万人余り、AI人材は339万人足りない
これは、ベトナムの「大卒層は増えたが、実務を支える中間技能層が不足している」という構図と、驚くほど似た形をしている。もちろん背景も水準もまったく異なる。ベトナムは発展途上の教育制度改革の途上にあり、日本は既に高い教育水準を確立した上で、AIという新しい変数への適応が問われている。しかし、「教育で積み上げた資本の"中身"と、労働市場が実際に必要とする"中身"が噛み合っていない」という、構造の骨格そのものは共通している。
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■ 「量」から「配分」へ----人的資本経営の次の論点
ここから見えてくるのは、人的資本経営という営みが、単に「資本の量を増やす」ことでは完結しない、という事実だ。
ベトナムは教育投資によって人的資本の「量」を確保した。しかし、その資本を実務にどう配分し、労働市場のニーズとどう接続させるかという「配分」の設計が、追いついていない。日本は、教育投資によって人的資本の「量」と「質」を長年高いレベルで維持してきた。しかし、産業構造の急激な変化(AI・ロボットの普及)に対して、既存の人的資本をどう再配分し、再教育するかという「動的な配分」の設計が、いままさに問われている。
つまり、両国は異なる発展段階にありながら、「静的な資本の蓄積」から「動的な資本の配分」へと、問いの重心を移す必要に迫られているという点で、軌を一にしている。
人的資本経営の議論は、しばしば指数のスコアや開示の充実度に目が向きがちだ。しかし本質的に問われているのは、その資本をどう動かし、どう実務に接続させるかという、配分の設計思想なのだと思う。ベトナムという成長著しいASEANの国のケースは、成熟した日本にとっても、決して他人事ではない鏡になっている。
参考リンク
・Vietnam.vn「逆ピラミッド型の『人的資源』という逆説:ベトナムの人的資本は所得水準を37ランクも上回っている」(Báo Pháp Luật Việt Nam)
・World Bank「Human Capital Project」