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人を動かすものは何でしょうか?様々な「座右の銘」から、それを探っていきたいと思っています

オリンピックの「目的」を考える

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最近、「目的志向」という研修を作っています。

ひとことでいうと、「常に目的を忘れるな」ということです。

目的が手段になっちゃったり、目的を見失ったりするとロクなことはない。

という私自身、目的を見失うことがありますけどね。

最近、コロナのせい?で太ってきましてですね・・・半年ぶりにお会いした歯医者さんに、「谷さん、ちょっとふっくらしてきましたね」と言われてショックを受けましたの。で、自宅から事務所、徒歩30分ぐらいのところを毎日歩いて往復することにしたんです。往復1時間歩くことになります。約9,000歩です。

これは、

目的:健康的な体を手に入れる。あるいは、痩せる。

手段:自宅から事務所までの間、往復1時間を毎日歩く。

なんですよね。

ところが先日ものすごく寒くて、ですね。家人から「今日はバスで行ったら?」と言われたんですが、その時無意識に「いや、歩くのが目的だから、歩いていくわ」と言ったんです。で、はっと我に返って。

いかん、手段が目的になってるー

と、我ながらびっくりしたことがあります。

で、オリンピックの目的は?

今日、「五輪『無観客』も容認=政府、中止回避を最優先」というニュースをみつけました。これを見てあらためて、

オリンピックって、何のためにやるんだっけ?

と考えました。

オリンピック憲章には、次のように書いてあります。

  1. オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、 バランスよく結合させる生き方の哲学である。 オリンピズムはスポーツを文化、 教育と融合させ、 生き方の創造を探求するものである。 その生き方は努力する喜び、 良い模範であることの教育的価値、 社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。
  2. オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである。

省略すると、「スポーツを通じて、平和な社会と人類の調和のとれた発展をめざしましょう」ということですね。全然省略できてない ^_^。

現在のオリンピックの存在意義

私はこの手の専門家ではないのであまりエラソウなことはいえませんが、ここしばらくのオリンピックは政治的な意味合い、経済発展的な意味合いが強くなり、本来の目的を忘れてしまっているような気がします。世界一流のアスリートが一同に会する祭典、という意味では、開催することそのものに意義がある、といえなくもないですけどね。みなさんの一生懸命な姿を見ると、それだけで勇気と活力がもらえます。平時だったら

しかし、コロナ禍のオリンピックはもう、「意地でも開催する!」という感じになっちゃっている気がします。まさに「東京オリンピックをやることそのものが目的」みたいになっちゃってますね。アスリートとか、もう関係なしにね。

目的を忘れずに

オリンピックの関係者、特に最前線のひとたち、選手とか監督とかスタッフとか、そういう人達の涙ぐましい努力を無にしたくない、という気持ちはよくわかります。でも政府はそういうところとは全く別の次元で動いているような気がします。先の記事でも

東京五輪を「新型コロナに打ち勝った証し」とする考えを改めて強調。

だって。

そういうこと言うのは、打ち勝ってからにしなさいよ。

緊急事態宣言も、たいした効果もないのに「一定の効果はあった」とかって言うんだよ、絶対。

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