コミュニケーションは、助詞の使い方を注意するだけで変わる
弊社の近くにコインパーキングがありましてね。私も時々使っています。
このコインパーキング、今はやりの「ロック板がないタイプ」なんです。
多くのコインパーキングには車を停めた時に「料金を払わないと出してやんない」とばかりにロック板が設置されていますよね。一方、弊社の近くのコインパーキングにはロック板がない。いちおう「監視してますよー」ということは書いてあるんですが、どこをどう見てもカメラらしきものは設置されていないようで、本当に監視しているかどうかはアヤシイです。例えダミーでも、これ見よがしにカメラが設置されていれば、それはそれで「無賃駐車」の抑止になると思うんですけどね。
で、その代わりといっては何ですが、このコインパーキングは、車を停めたことはちゃんと認識していて、黄色いラインで区切られた区画の中に車を停めると、区画の後ろにある小さい装置のランプが光って、車を認識したことをアピールします。問題はこの後で、このあと30秒おきぐらいに
お帰りの際は、料金をお支払いください。
と喋るんですよ。もちろん、録音された音声で。
この「お帰りの際は」の「は」が、気になるんです。これって、「ちゃんと金を払って帰れよ」というのを言い換えている表現です。
例えば
フロントにお越しの際は、ベルを鳴らしてください。
と無人のフロントに書いてあるとします。これ、フロントにやってきた人に対して「誰もいない!ってうろたえずに、ベルを鳴らしてくださいね」と教える意味があります。ベルを鳴らすということを知らない人に指導をしているわけです。
同じように考えると、「お帰りの際は、料金をお支払いください。」も、「お金を払うんですよ」ということを指導しているニュアンスが含まれていて、「ああ、利用者を信用していないなぁ」なんて感じちゃうわけですよ。
これがせめて
お帰りの際に、料金をお支払いください。
となっていたら、ちょっとニュアンスが変わっていいと思うんですよね。まず、「利用者はお金を払う」ということが前提の性善説にたった表現です。その上で、いつ、どのタイミングでお金を払うのか、ということを説明している、という感じになります。実際には「ちゃんと金を払って帰れよ」というアピールなんですが、少しでもそのニュアンスを柔らかく伝える効果があります。
で、本題
例えば、飲食店に入って、お店の人が注文をとりにきたとします。その時に
うどんでいい
と言う場合と、
うどんがいい
という場合とでは、相手に対する印象はものすごく変わります。仮に「別にうどんでなくても何でもいいんだけど」と思っていたとしても、「うどんがいい」と言えば、積極的にうどんをチョイスしたみたいなニュアンスになりますよね。一方「うどんでいい」と言ってしまうと、本当にもう「何でもいい感」が満載になり、作るほうのモチベーションにも影響しそうです。
助詞の違いってほんのわずかなものなんですけど、そのほんの少しの注意を払うだけで、心の交流はずいぶんと変わりますよ。