「うどんがいい」と「うどんでいい」
先日、昼食に何を食べようか考えながら歩いていた時のこと。
2人連れの、私よりもほんの少しだけお年を召したと思われるカップル(ご夫婦?)が前を歩いていらっしゃいました。で、男性が女性にこう言ったんです。
(お昼ご飯は)うどんでいいや。
この時、私はこの男性の真意(?)について考えていました。そして、「うどんがいい」と「うどんでいい」の違いについても。
簡単に言えば、「が」のほうがより積極的だ、ということです。
「うどんでいい」は、うどんという選択があまり積極的ではない印象を受けます。そばでもいい、ハンバーグでもいい、いっそのこと食べなくてもいい、うどんでもいい、そんな感じ。
一方「うどんがいい」は、数多くの選択肢の中から、うどんを選択する気持ちの度合いがより大きいわけです。他の選択肢じゃイヤ、うどんでなきゃだめ、ぐらいの気持ちです。
これがうどん程度だったらいいけど、相手が人間だったらこうはいきません。
「結婚するなら君がいい」というのと「結婚するなら君でいい」というのとは、相手からキスが飛んでくるかパンチが飛んでくるかぐらい、印象が違います。
---
で、みなさん。
つい、「○○でいい」って言っちゃってませんか?
特に、そのうどんを作る側の身になって考えてみてください。「うどんがいい」って言われたら、うどんを作る人は、きっと喜んでうどんを作ることでしょう。でも「うどんでいい」って言われたら、うどん作りにはあまり熱が入らないかもしれません。
---
おもしろいことに、これが過去形になると、意味がまったく反対になります。
つまり「うどんでよかった」とは、うどんを選択した人が、自分の選択に間違いはなかった、という安堵の気持ちがあるわけです。自分の選択を肯定しています。
しかし「うどんがよかった」って言うと、うどん以外の選択をした人が、うどんにしておけばよかったなぁ、と、後悔の念を持っていることにんるわけです。自分を選択を否定しているわけですね。
お客様や愛する人から「君がいい」、「君でよかった」って言われますように。