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人を動かすものは何でしょうか?様々な「座右の銘」から、それを探っていきたいと思っています

上質な「騙し」のテクニックを

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先日、「だまし絵展」なるものを見てきました。
この展覧会での「だまし絵」の定義は、およそ次の通りです。

 1.ある絵が、見方によっては別のモチーフにも見える。
   例えば、野菜や果物が並んでいるようにも見えるし、人の肖像画にも見える、というもの。
 2.現実にそこに置いてあると思わせるほど精巧に描かれている絵。
   写真技術のない時代、あまりにも精巧すぎる絵は一種の「だまし絵」であった。
 3.現実には絶対に存在しないものを描いてある、というもの。
   M.C.エッシャーの「滝」は、あまりにも有名。

その他、目の錯覚を利用したもの、右から見た場合と左から見た場合とで見える絵が違うもの、絵が木の壁に打ち付けてあると思ったら、実はその木の壁も絵だった・・・とか。
久しぶりに、目を楽しませていただきました。

で、これらたくさんの絵を見て、ふと思ったことが・・・

            人間は元来、騙されたがっているのではないか?
         と同時に人は、誰かを騙したくてしょうがないのではないか?

手品だってそうです。上質な手品は、騙された後に爽快感があります。マジシャンはその生涯をかけて、人を騙すテクニックを磨き、賞賛とお金を得るのです。

また、「どう見てもハンバーグなのに食べてみたらチョコレートケーキだった」みたいなものもあります。こんなのも、すごい人の作品は芸術の域にまで達します。

「いい意味で期待を裏切られる」という言葉があります。先日も、めちゃくちゃ汚くて、大丈夫かここ?と思うような飲食店が、実はものすごくおいしかった、ということがありました。

「だます」というと聞こえが悪いですが、しかし単純に「だます」というのは、人にいい影響を与えるものと、悪い影響を与えるもの(詐欺とかオオカミ少年とかね)とがあるようです。そして人は、いい影響を受ける「だまし」を、どこかで期待しているような気がします。爽快感を与える「だまし」は、だまし絵にしろ手品にしろ、人の記憶に深く残ります。そして、その人の人生観に影響を与えることさえあります。

で、この「だまし」と人材教育とを、なんとかして結びつけることはできないか、と考えました。つまり、いい影響を与える「だまし」を人材教育の中に取り入れれば、教育効果が上がるんじゃないか?と考えたのです。

残念ながら、今はここまでなんです。ではどう取り入れれば効果的なのか、いいアイデアが浮かびません。この記事を見て何かアイデアが浮かんだ人がいらっしゃいましたら、コメントを残してくだされば幸いです。

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