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人を動かすものは何でしょうか?様々な「座右の銘」から、それを探っていきたいと思っています

「講師」の仕事

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少し前の記事になりますが、増岡直二郎さんの「研修会-うまくいった話などもう結構だ」を読んで、身につまされました。

私の本業は、講師業です。多くはIT技術教育ですが、増岡さんが書いておられるようなプリセールスのための研修やセミナーに呼ばれて、あたかもその企業のメンバであるかのようにお話をすることもあります。

もちろん、その企業の人間でもなく、SEでもありませんので、技術的な深い話は残念ながらできません。それでもなぜ、企業は私のような「教え屋さん」にお金を払って、登壇させるのか・・・そこに、私のような「教え屋稼業」の存在意義があると思っています。

それは、「聞き手の視点に立って話ができるか」ということです。

ひとつは、「聞き手が理解できるような言葉で説明しているか。内容が難しすぎないか。専門用語を多用していないか」ということでしょう。私は、この製品のことを初めて聞いた人でもわかる言葉で話をする、ということを目標にしています。

もうひとつは、「聞き手が知りたいことを話しているか。技術面に偏りすぎないか。メリットばかりを強調しすぎないか。宣伝になっていないか」ということです。作り手の立場で、あるいは提供者の立場で話をしてしまうと、どうしても増岡さんが経験されたような研修会になってしまうのでしょう。伝えたいことを伝えるのではなく、聞き手が聞きたいことを伝えることこそが重要なのです。依頼元の企業が用意したスクリプト(研修で話すシナリオ)が完全に作り手の立場でしか書かれていない、というような場合は、それを完全に無視して話をする場合もあります(もちろんその場合は、依頼元の企業に「無視しますよ」と言ってからにしますけどね)。

身内に優秀なSEの方がおおぜいいらっしゃるのに、あえて外部の私のような「教え屋」に研修やセミナーの話し手を依頼する企業様は、たいてい「そのほうが良い結果が出る」ということを期待しているからそうするのです。我々が製品の中身のエキスパートでないことは、重々承知の上で、依頼してくださるのです。それは「いかに聞き手の立場に立った話ができるか」ということを、我々外部の「教え屋」に期待しているから、に他なりません。

我々の仕事は、結果がすべて。聞き手の満足度が低いと、二度と呼んでもらえません。1回1回が、真剣勝負です。なのに、痩せない。困ったものです。^_^

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