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人を動かすものは何でしょうか?様々な「座右の銘」から、それを探っていきたいと思っています

「くいだおれ」閉店に関する一考察

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大阪のシンボルのひとつ、「くいだおれ太郎」。あの、チンドン屋さんの格好をした、電気じかけの人形です。ペコちゃんが不二家の顔なら、くいだおれ太郎は道頓堀にある食堂「くいだおれ」の顔です(この二人、同期なんですって)。いや、いまや大阪そのものの顔です。

その「くいだおれ」が、7月8日をもって閉店することになりました

上記のリンクは朝日新聞の記事へのリンクなので、そのうちリンク切れになるかもしれません。一部を無断で転載すると・・・(原文は、asahi.com の2008年04月08日の記事です)

大阪・道頓堀の顔として60年近い歴史を持つ飲食店「くいだおれ」(柿木道子会長)は8日、「閉店のお知らせ」と題した文書を報道各社に配布し、7月8日に閉店することを明らかにした。

 (中略)

ファクスで送付された文書によると、建物・設備の老朽化や家族経営の限界を閉店の理由に挙げ、「大阪名物くいだおれもそろそろ定年を迎え、お役目を終えたようです」と記している。創業者の山田六郎氏の「支店を出すな」「家族で経営せよ」「看板人形を大事にせよ」の遺言を守ってきたが、若者向けの店が立ち並ぶようになった道頓堀の変化などを受け、閉店を決めたという。

 同店は1949(昭和24)年に開店。関係者は朝日新聞の取材に、「道頓堀は五座の劇場が次々と姿を変え、新しく出来る店の雰囲気も昔と違って、次第に経営が苦しくなった」と話した。

経営方針はその企業の経営者が決めることだし、店を閉める本当の理由が他にあるかもしれませんから、この「くいだおれ」閉店の決定に関して部外者の私がとやかく言うのはヤボというものです。今はとにかく、「60年間お疲れ様でした。そしてありがとうございました」という気持ちでいっぱいです。

しかし、冷静にこの記事を読んでみると、どうにもひっかかる点があるんですよ。
私の勝手な想像(妄想ともいう)が膨らんでしまいましてね。

ここから先は、私の仮説100%です。事実かどうかはまったくわかりません。
が、もし、もし、

 「くいだおれ」は経営難で、経営をなんとか立て直したかった。

 しかし、創業者の遺言である
  「支店を出すな」
  「家族で経営せよ」
  「看板人形を大事にせよ」
 を守ろうとすると、どうしても現状を維持することが困難であった。

 苦渋の決断で、店を閉めることを決意した。

というのであれば、第三者的な立場である私は「なぜ、創業者の遺言をかたくなに守ろうとしたのか」ということが気になります。くいだおれをチェーン展開するとか、外部から外食産業コンサルタントを招聘するとか、今風の店舗に改造するなどすれば、くいだおれは間違いなく存続しえたでしょう。ブランドとしてはゆるぎないものがありますからね。もちろん、今のスタイルではなくなるかもしれませんが。

もちろん経営者にとっては家族であり、おそらくお父様であり、ご先祖様です。親の遺言は正論よりも尊い。理屈ぬきでその遺言を守るのが残された子孫の使命だ、と言われればそれまでなんですけどね。

ただ私は、「なぜ、創業者の方はこの遺言を残したのか」という「なぜ」という部分が気になるのです。「看板人形を大事にせよ」というのは、一種のブランド戦略です。これはよくわかります。問題は「支店を出すな」と「家族で経営せよ」の部分です。

これはあくまでも推測の域を出ませんが、

 支店を出すな
  支店を出すことで、経営者が店の品質や経営全体に気配り、目配りが
  できなくなり、「くいだおれ」のイメージが低下することを恐れた

 家族で経営せよ
  家族でない第三者に自分が創業した『くいだおれ』を乗っ取られ、
  家族が路頭に迷う結果になることを恐れた

のではないか、と思うのです。これらの遺言はすべて、くいだおれそのものと家族をこよなく愛する創業者の意思の表れではないかと思うのです。創業者はおそらく、くいだおれを失ってしまうことと家族が貧乏になってしまうことを何よりも恐れ、この遺言を残したに違いありません。

現在の経営者の決断に水をさすつもりは決してありません。くいだおれの姿、形が変わってしまうぐらいならなくしてしまったほうがよい、という決断も正しいと思います。でももし私の推論が正しいのなら、創業者の遺言を守ったがために、創業者が最も愛する「くいだおれ」そのものを失ってしまう結果となった、つまり創業者の意図とまったく反対の方向に結論づけてしまった、というのであれば、残念でしかたありません。規模は違えど、松下電器のようになってほしかった。企業名からも「松下」という名前が完全に消え去っても、創業者・松下幸之助の遺伝子は間違いなく残っているのですから。

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なぜ、この記事が気になったかというとですね。

多くの企業では、非常にたくさんのルールがあります。いわゆる就業規則、というやつですね。最近ではそれに加えてセキュリティポリシーとか、内部監査ポリシーとか、ずいぶんうるさくなりました。しかし中には、完全に形骸化してしまったルールとか、なぜそのルールがあるのかさっぱりわからないとか、ありませんか?

ルールはたいてい、昔何か不具合があって、同じ失敗を繰り返さないために「こうしたほうが望ましい」ことを義務付けるために作られます。言い換えれば、時代が変わったり事情が変わったりした場合は、ルールは厳しいほうにも緩いほうにも見直されるべきなんです。「そう決まっているから」守る、ということだけは避けなければなりません。

いちど、社内やグループ内のルールを見直してみませんか?

  なぜ、こんなルールがあるんだろう。
  このルールを守ると、どんないいことがあるんだろう。
  このルールを守らないと、どんな悪いことがあるんだろう。

このことが社員全員に伝わると、単に「ルールを守れ」というよりももっと効果的に、みんなルールを守るようになります。さらに不要なルールを取り去ったり、実は必要だけど制定されていないルールを見つけたりすることができるようになります。

Comment(3)

コメント

遺訓の真意は測りかねますが、企業の事業継続のためだったら確かに本末転倒かもしれませんね。一方、家業として子孫の幸せのために残したものなら、下手に道を外れて失敗しないように、うまい終わらせ方の秘訣としてよくできた遺訓だったのかもしれません。

先人の教えを伝承していく中で何が大切なのかという文脈がただしく伝わっていれば、当事者的に納得いくものなのでしょうね。

ぶん

こんにちはー。ぶんです。
今回、話題になっている「くいだおれ」は行ったことがありません。大阪で仕事をしているので、「いつでも行ける」という思いがあったかもしれません。

さらに個人的なことですが、私の子供がこの春、中学に進学しました。小学校と違ってたくさんの「校則」に囲まれています。「校則」も会社のセキュリティなどに絡んだ「ルール」も、「校則」を守る、「ルール」を守ることだけに注力するから「校則」やぶりやこの程度ならいいだろうという「ルール」やぶりが出てくるのかもしれませんね。
「なぜ?」という視線、これはルールだけにとどまらず、いつでも大切にしたい視線なのかもしれないとつくづく考えさせられました。

谷 誠之

坂本英樹さん、コメントありがとうございます。

なるほど、「下手に道を外れて失敗する」よりは潔く終焉を迎えるほうがよい、というのもひとつの考え方ですね。
先人の教えとして一番簡単で奥が深いものが「ことわざ」だと思います。いろいろなことわざの中で、何が大切なのかということがとてもよく伝わってくるものが、残っていくのでしょうね。

ぶんさん、コメントありがとうございます。

お子さんの中学入学、おめでとうございます。
学校って、規則の嵐ですよねぇ。そういえば私が中学生の頃「ルールは破るためにある」と豪語している奴がいました。形骸化したルールは、守ろうとする意欲すら失わせてしまいます。やっぱり「なぜ」という気持ちが大切なんでしょうね。

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