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人を動かすものは何でしょうか?様々な「座右の銘」から、それを探っていきたいと思っています

「できるかできないか」ではなく「やるかやらないか」だ

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仕事やプライベートなどで、技術的に難しかったり納期的にタイトだったりの用事を依頼されるとき、依頼主はそれでも気を使ってくださって「できますか?」とお尋ねになります。

そのとき私は、可能な限り「できません」とは言いません。なぜなら、厳密に「できない」ものはなにひとつない、と思っているからです。

いや、私が万能だ、という意味ではないですよ。ただ、不可能であるという意味の「できない」と、ただ単にヘタクソだとか依頼主を満足させるような出来栄えが期待できないから「やらない」というのを混同しないようにしている、ということです。

例えば私は絵を描くのがものすごくヘタクソです。静物や風景などはまだ何が書いてあるかかろうじて見分けがつきますが、人物など描こうものなら、そのへんの小学生のほうがよっぽど上手に描きます(本当に)。児童誌や少年誌などに投稿する人たちの絵は本当に上手ですよね。

しかし、そのことで「私は絵が描けない」と表現するのは間違っていると思うのです。絵筆を持てるからには、絵は描けます。ただ、絵を描くのがものすごくヘタクソなのです。

ビジネスの世界になると、そういうわけにはいきません。頼まれた内容に対して(私がヘタクソなので)品質を担保できないとか、納期に間に合わせることができないとかいった判断をした場合は、依頼主に迷惑をかけてはいけないので「やらない」という選択をします。やらない、と自分が判断をして、依頼主にお断りをするわけですね。これはいわば自分が責任を負う自分の選択であるわけです。

逆に「できません」というほうが気が楽というか、選択した責任から逃げているような気がするんです。「やらない」と選択したことに対する責任から逃れるために、道は一本しかないんだ、だってやりたくたって「できない」んだもん、と自分に逃げ道を用意する言葉が「できない」という言葉であるように思えるわけです。

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一方で、「できたかできなかったか」という過去形で使うのであれば、「できなかった」という言葉は存在します。これは何をもって「できた」とみなすかという達成指標を明確にした上で、その達成指標に到達したら「できた」、到達できなかったら「できなかった」と判断するわけです。

達成指標は未来の話にも使えます。私にとって「今年度1億円稼ぐ」という達成指標を掲げたところで、さすがにそれはできそうにない話です。荒唐無稽な達成指標は意味がないばかりか、モチベーションの維持にも使えません。ですからそれはやっぱり「できない」のではなく「やらない(チャレンジしない)」という選択になるのです。一方「今年度1千万円稼ぐ」だったら、一生懸命がんばれば達成できるかもしれません。それならその達成指標に到達することを目標にしてがんばる、というやはり選択をするわけなのです。

  「できない」とは言いません。
  でも「やらない」とは言います。それはやらないと決めた自分の責任だからです。

あとは、依頼主に面と向かって「やりません」と言うと角が立ちそうですから、断り方には気をつけないといけませんね。

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