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人を動かすものは何でしょうか?様々な「座右の銘」から、それを探っていきたいと思っています

こんなに乱れていいんですか

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我ながら、なんちゅータイトルだ、と思いました。

今回は、乱れに乱れている敬語についてお話します。

ボクシングの世界の某兄弟は、誰に話しかけるときにも敬語を使いません。
それが彼らのポリシーなのか、それとも単に敬語を知らないだけなのか、わかりませんが。
(知っている人がいらっしゃったら、教えてください)

「相手を尊重する」という、ただそれだけの理由でも、敬語は大切です。
そりゃ、ないよりはあったほうがいい。でも、ただあればいい、というものでもないと思うのです。

  だって、気持ち悪いんだもん。

最近よく耳にする「誤った敬語」の代表例は・・・

  1. この座席は、どなたでもご利用できます
  2. しばらくこちらでお待ちしてください
  3. ポイントはお使いされますか
  4. どうぞ、いただいてください
  5. あそこで話しておられるのが私の先生です。
  6. はい、私はそのことはよくご存知です
  7. ○○様がいらっしゃりました
  8. △△について、おはなしさせていただきます
  9. 今すぐ、お召し上がりになりますか?
  10. 私が承らせていただきます
  11. 後ほどお伺いさせていただきます

などなど。枚挙にいとまがない状態です。
さて、これをお読みになっているみなさんは、これらの敬語表現がすべて間違っているのだということに、お気づきですか?

相手を尊重する、あるいは自分を謙譲する意思が伝わればそれでいいんだ、という方もいらっしゃいます。あるいは、これが言葉の変化だ、相手に間違った伝わり方をしなければそれでいいんだ、という方もいらっしゃいます。

確かにそれは一理あります。「言葉の乱れ」と「言葉の変化」は紙一重だとも思います。
が、正しい用法、用例を知っている上で、それをわざと乱して使うのと、そもそも正しい用法、用例を知らないで適当に使っているのとでは、言葉に持たせる重みが変わってくるように思うのです。

本屋さんに行くと、正しい、美しい日本語を学びましょう、という類の本がいっぱい並んでいます。
これを単なる流行に終わらせずに、みんなが正しい、美しい日本語を学んでそれを自由自在に使いこなせるようになれば、国内のもめごとの半分はなくなるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

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