宇宙戦略基金1兆円時代 日本の宇宙スタートアップは産業化の次のステージへ
2026年6月14日に開催されたG1ベンチャー2026のセッション「宇宙産業で世界一を目指す~フロンティア領域に挑むスタートアップ~」には、日本の宇宙ビジネスを切り拓いてきたキーパーソンたちが集まった。登壇したのは、アクセルスペースホールディングス中村友哉CEO、ispace袴田武史CEO、SPACETIDE石田真康CEO、慶應義塾大学大学院の白坂成功教授(Synspective共同創業者)。モデレーターはALE岡島礼奈CEOが務めた。
なお、G1でのかつての宇宙セッションでは、この3社はまだ小さくセッション参加者はまばらだったが、今や五百-二千億円ほどの時価総額の上場企業となっている。他のセッションではSMBCグループがispaceなど宇宙分野のスタートアップに数百億円を投資した話もされた。
議論から浮かび上がったのは、日本の宇宙産業が黎明期から産業化期へ、さらにその先へと向かおうとしている姿だった。
「宇宙で起業」は誰にも信じてもらえなかった
アクセルスペースが創業した2008年当時、中村氏によれば「宇宙でスタートアップをやること自体、誰も信じてくれなかった」。
創薬やバイオには大学発ベンチャーが存在したが、宇宙分野にはほとんど前例がなかった。VCはもちろん、エンジェル投資家ですら話を聞いてくれない時代だったという。
しかし現在、日本国内の宇宙ベンチャーは120社を超え、宇宙戦略基金には10年間で1兆円規模の予算が投入される。中村氏は、この変化を「後半になって指数関数的に立ち上がった」と振り返った。
ispaceの袴田氏もまた、2010年の創業当初は月面探査レース「Google Lunar XPRIZE」への挑戦からスタートした。当時は資金調達も容易ではなく、2017年に実現した約100億円の大型調達は業界にとって大きな転換点だった。
業界を育てたエコシステム
なぜ日本の宇宙産業はここまで成長できたのか。
石田氏は2015年に宇宙ビジネスカンファレンス「SPACETIDE」を立ち上げた背景を語った。
当時、米国ではSpaceXを中心に宇宙の産業化が始まっていたが、日本ではほとんど注目されていなかった。面白い挑戦が数多く存在するにもかかわらず、メディアも投資家も関心を持っていなかった。
そこで「宇宙に関わる人を一カ所に集めれば、世の中の注目を集められるのではないか」と考えたという。
結果として、宇宙ビジネスという言葉そのものが社会に浸透し始めた。
白坂氏は、この成長の本質を「エコシステム形成」にあると指摘する。
宇宙産業ではスタートアップ単体では成長できない。人材、技術、資金の循環が必要だ。
実際、シンスペクティブが資金調達を行った際には、宇宙分野への投資経験を持つVCが評価できる投資家として存在していた。これは先行する宇宙スタートアップへの投資経験が蓄積された結果だった。
「人と技術とお金。この三つのエコシステムが回り始めて初めて産業になる」
という白坂氏の指摘は、宇宙産業の発展過程を端的に表していた。
宇宙戦略「1兆円基金」誕生の舞台裏
現在注目を集める宇宙戦略基金も、一朝一夕に誕生したわけではない。
白坂氏によれば、大きな転機は内閣府宇宙開発戦略推進事務局の設置だった。それまで文科省、経産省、総務省が個別に進めていた政策を統合する司令塔が誕生したことで、国家としての宇宙戦略が描けるようになった。
さらに2015年前後には、安全保障、産業育成、科学という三本柱が政策目標として明確化された。そして2016年に「宇宙産業ビジョン」が策定された。
石田氏は「政策の重要性が高まってから実際に大きな予算が動くまでには時間差がある」と説明する。
2018年の宇宙ビジネス投資支援、SBIR制度の拡充を経て、最終的に1兆円規模の宇宙戦略基金へとつながった。技術開発の「入口」となる基礎研究力の底上げと「出口」の社会実装支援の構想が、10年以上の歳月を経て現在の基金へと結実した。
つまり現在の宇宙ブームは、約10年から20年に及ぶ官民の積み重ねの成果なのである。
次の課題は「補助金から調達へ」
一方で、登壇者たちは次の課題も共有した。
中村氏と袴田氏が共通して指摘したのは、宇宙戦略基金が主に研究開発支援の仕組みであることだ。
事業化フェーズに入った企業にとっては、研究開発補助金よりも政府によるサービス調達の方が重要になる。
中村氏は「宇宙産業は最終的に政府がお客さんになることが極めて重要だ」と語る。
SpaceXもNASAや米政府との契約が成長の基盤になっている。日本も今後は補助金中心から調達中心へ移行しなければ、本格的な産業化は難しいという認識で一致した。
出口としての政府調達。これは宇宙に限らず、ディープテック全体に共通する論点だろう。
資本市場の厳しさ
日本の資本市場の課題として「VCファンドの10年期限」が挙げられた。宇宙スタートアップが起業から上場水準に達するまでには10年以上の歳月を要することが多く、ファンドの満期と事業のタイムラインが合致しない。
また、未公開株を引き受けるセカンダリーマーケットやM&Aが未発達な日本においては、VCのエグジット圧力をかわすために「赤字のままIPOせざるを得ない」という構造的な問題が存在する。
上場を果たすと、株式市場からは「足元の四半期黒字化」や短期的な利益創出を厳しく迫られるため、中長期の巨額の先行投資とのバランスを取る難しさに直面する。
袴田氏は、月の軌道に衛星を投入して通信や即位サービスを提供する新事業「LUNAR CONNECT(ルナコネクト)」を発表した背景を明かした。この構想は3年前から社内で慎重に事業計画を練り、投資家に説明できる形を整えた。「全く新しい投資を行う際、上場企業としては市場の目を気にして慎重にならざるを得ない。しかし、株主の中には現在のキャッシュだけでなく、将来生み出すキャッシュや、新しいビジネスモデルによる成長を期待している層もいる。既存事業の確実な遂行と、未来への投資のバランスのコントロールは本当に難しい」と、上場企業の舵取りの苦悩をリアルに語った。
世界一を目指すために必要なこと
セッション終盤では、「日本発で世界一を目指すには何が必要か」が議論された。
石田氏は、宇宙がもはや単なるフロンティアではなく、「10年前の理想とは異なり、宇宙は今や国家の『経済レジリエンス』や『安全保障』に直結する重要インフラになった」と指摘する。
そのため、今後の競争では強力な産業政策と民間の自由なイノベーションの両立が不可欠になる。
白坂氏は、安全保障需要が先行している現状を認めつつも、その先には民間市場が必ず広がると強調した。宇宙旅行や月面モビリティ(トヨタのルナローバー等)など、が本格化すれば、宇宙産業だけでなくモビリティ、飲料、消費財などあらゆる産業が宇宙に進出する可能性がある。
中村氏は「アメリカと同じことをやっていては勝てない」と語る。日米の予算格差を踏まえ「米国や欧州が作れない、BtoCなどのユニークな宇宙ビジネスを先駆けて創出することが日本発の世界一の定義だ」と日本独自の強みを生かした市場を創出することが重要だという。
そして袴田氏は、SpaceXの進化を例に挙げながら、より本質的な視点を提示した。
「宇宙産業は産業ではなく、活用の場になりつつある」
SpaceXはもはやロケット(輸送)企業ではなく、AIやデータセンターを含む巨大なインフラ企業へ変貌しつつある。宇宙そのものを目的にするのではなく、宇宙を活用して何を生み出すかが競争の本質になっているというわけだ。
宇宙産業の変貌と展望
かつて宇宙は国家プロジェクトだった。次にスタートアップが挑戦するフロンティアとなった。そして今、宇宙は安全保障や経済活動を支える基盤インフラへと変貌しつつある。
現在の日本の宇宙政策は、技術開発を支える「宇宙戦略基金(1兆円)」と、ユーザーとして買い取る「宇宙安全保障構想(1兆円)」の両輪(入口と出口)で動いている。これがあるから、民間投資家も安心して資金を投じられる。
日本の宇宙スタートアップはようやく産業化の入り口に立った。しかし登壇者たちの視線は、その先にある「宇宙が当たり前に利用される社会」に向いていた。世界一を目指す戦いは、まだ始まったばかりである。
そして、安全保障と民間市場のバランスを模索してきた宇宙産業の歩みは、日本の様々なディープテック産業、そして国家戦略のあり方に示唆を与えている。