「むさ苦しいチームになってしまった」という嘆きを看過してはいけないのではないかと悩む。
研修では、スクール形式ではなく、島形式で会場をレイアウトすることが多い。
グループでのディスカッションや成果物作成やそんなワークが沢山あるからなのだが、事前に事務局(人事部の方など)から、「どういうグループ編成にしましょうか」と相談されたら、2通りの回答がある。
●属性が同じ人同士のほうが議論などが深まるケースは、
「同じ部署や同じポジションなど、似た仕事をしている方同士にしてください」
●属性が異なるほうが議論が深まるケースは、
「できるだけ、普段交流のない、他部署や異職種の方同士にしてください」
・・・この時、「男女比は?」ってなことも聞かれることがあるが、「男女は意識しなくてよいです」と答える。
で、実際に同じ属性か異なる属性かでグループ分けされた状態で研修はスタートするのだが、折角集まっているのに、終日同じメンバで対話しているのも面白くないので、途中で席替えをする。
この席替えは、私(講師)ができるだけ全体がシャッフルするように工夫して行う。
この時、男性ばかりのグループ、女性ばかりのグループ、男女まざったグループ、女性4人に男性1人のグループなどできる。
無作為に行ったシャッフルなのだから当然そうなる。
別にそれでいいんじゃないか?と思うのだが、時々、
「田中さーん、ここ、ヤロウばっかりでむさ苦しいグループになっているんですけど」
といった発言が飛び出すことがある。
あるいは、
「田中さーん、このグループ、オレ、男一人で、いたたまれないんですけど」
と言われることもある。
(そういえば、その逆はほとんど聴いたことがなくて、「女性ばっかりなんですけどー」も「女一人なんですけどー」も女性は言わない)
「ヤロウばっかりでむさ苦しいグループ」という発言主に、
「それが何か問題ですか?」と応じたら、
「華がないです」との答え。
20代30代の若手でもそんな感じで反応が返ってくる。
「華がない。うーん。・・・そのグループ分けで問題ないですよね」といってそのまま続行する。
(実際にはもうちょっと丁寧に話している)
心の中では、「華がない」という発言に、「女性に華を求めているのか?」と思わなくもないが、研修テーマの本質ではないので、そういう時は、看過することにしている。
しかし、本当は、そういうちょっとした発言を見逃さずに指摘すべきなのかも知れない。
「女性が入っていないと、グループがむさ苦しい」と言われた時、
「女性がいたほうが、華がある」と言われた時、
「それってちょっと変じゃないですか?」と。
「男女が混ざっているほうが、視点の違いを得られるのではないか?」というのならいい。
「むさ苦しい」「華がない」とは、求めているポイントが少し変だ。
こういう発言、中高年の男性が口にすると思われるかも知れないが、そんなことはなくて、どの年代でもある。
悪気なく口にする「女性がいないと華がない」という発言。
本当は指摘したほうがいいのだろう。今後、耳にしたら、ちくっと言ってみることにしよう。
もちろん、逆もしかりで、
「男性がいないから、●●」ともし言われたら、その時も同じように。