ふたたび:「いのちは時間」
日野原重明先生(聖路加国際病院名誉院長)が以前、上智大学グリーフケア講座で講義をなさった際、「いのち」の話をなさった。
本にも書かれているし、講演でもたびたびお話になっているテーマである。
子どもたちに「いのち」ってなんだと思う?
と質問すると、頭を押さえたり、心臓を押さえたりする。
それは、確かに動物としての生命維持という意味では、心臓だったり頭だったりするかもしれないけれど、もっともっと大事なことがある、と日野原先生はおっしゃった。
子どもにでもわかる「いのち」の定義。
「いのちはですねぇ、時間なんですねぇ」
独特の口調でこうおっしゃった。
――――― いのちは、時間。
一人ひとりに与えられた時間がいのちなんだよ。
そう教えれば、子どもでも理解できるという。
あなたは、誰のためにその「いのち」を使いますか?と先生はおっしゃったけれど、その前に「いのち」を無駄にしていませんか?という問いがあるんじゃないかとその時思った。
いのち。
自分の時間。
なぜ人を殺してはいけないか、という問いがあるけれど、
「相手の時間を奪うことになるから」
なのだと、この話を聞いた時思った。
「相手が持っていたはずの大事な"時間"を奪う」ことは誰にもできない。
いのちは、時間。
今日改めて、この言葉をかみしめる。
あれから5年。
当日、名古屋にいた私は、東京の大きな揺れを経験しておらず、帰宅難民にもなっていない。
名古屋も大きな揺れではあったけれど、あの時、関東以北の大変さを経験していないことがずっと負い目であり、この日は、いつも落ち着かない気分を味わう。
(もちろん、いのちがながらえているわけだから、そんなことはちっぽけな話である)
天変地異はどうにもならないことが多いけれど、それでも、多くの大切な"時間"が奪われたこの日。
・・・・・・
毎日笑ったり怒ったり食べたり眠ったり、ふつうに過ごせることのありがたさをつい忘れてしまう。
いのちは、時間。
もう一度、ここに書いておきたい。
=============================
『遺体』という本は、いのちについて、深く考えさせられる一冊。
これを読んでみたいと思っている。
『呼び覚まされる霊性の震災学』