「女性活躍推進」を「男性だけ」で話し合ってはいないか?
「女性活躍推進法」が成立したし、もとより「ダイバーシティ」という言葉もあちこちで耳にするようになり、少しずつ世の中は変わりつつあるのだなぁとほうじ茶すすりながら、しみじみする。
「ダイバーシティ」は、日本語だと「多様性」と訳されるけれども、「女性活躍推進」と「=(イコール)」なわけでは決してなく、それも含めての「多様性」なんであって、「ダイバーシティ」だから「女性活躍推進」というのでもないし、「ダイバーシティ」というわけで、「女性活躍推進だな」というのでもないのですよね。
それに、「女性活躍推進」は「管理職比率だけを高める」ことでもないし、「女性」が「活躍」しやすいようにあんなことやこんなことを「推進する」というのが本来の目指すところだろうとも思うのだ。
「多様性」「ダイバーシティ」という言葉について、もっともわかりやすい説明をしてくれたのは、佐々木かをりさんで、「ずばり、"視点の多様性"です!」と数年前のPMシンポジウムの基調講演でおっしゃって、それ以来、「ダイバーシティ」は「視点の多様性だ」という風に自分では納得し、他者に話す場合は、「視点の多様性と佐々木さんがおっしゃっていて、私にはそれが一番ぴんと来る」」というような紹介の仕方をしている。
女性活躍推進だから「管理職比率を高めよう」と言われると、なんとなく、「ポイントはそこなのか?」とへそ曲がりな私はいつも疑問に思っていて、「女性は、果たして管理職になりたいのだろうか?」「それよりも、まずは、ふつうに働きたいんじゃないのか」と考えたりもしていたのだけれど、そう考えるのは、実は、「今のような社会なら」という前提が無意識のうちに頭の中にこびりついているからだなぁと考えを改める文章を最近読んだ。
誰が書いたものだったかすっかり忘れてしまったのだけれど、新聞のコラムに「女性の管理職比率」を上げることには意味がある、ということを説明するのに、こういう解説をしていたのだ。
「女性の管理職比率は高まったほうがよい。物事を決定する場面に"両性"が同じように座っているってことがとても大事だ。男性中心の考え方で物事が決められ進んでいくのではなく、そこに女性の考え方も入っていくことには、とても大きな意味がある」
ああ、なるほどー。
そうか、そうか。だからこその、「視点の多様性」なんだな、と。
管理職を見ていると、昼も夜も土日もなく、チョー忙しいから、「あんな大変なら、管理職なんかならなくていいや」と考える女性は案外多いんじゃないかと思う。なぜならば、どんなに男性の「家庭進出」が進んでも、全く完全にフェアというか、二等分されることは絶対にないからだ。まずは、妊娠と出産が違う。そして授乳も違う。それだけでも大きな違いである。
それ以外の家事・育児・介護は、その気になりさえすれば、男女で二等分することは可能だけれど、こと仕事との両立ということを考えた場合、やはり、妊娠・出産・授乳というのは、大きな壁というか、ハードルである。
それらと、チョー多忙な管理職の仕事を両立できるだろうか? どちらも挑戦するなんて可能だろうか? というのが、たいていの女性の悩むところなんじゃないかと思う。(その結果、私のような「均等法元年世代」では、結婚自体をしない、結婚をやめてしまう、出産をしないなど、「しない」「あきらめる」「最初から考えない」「辞めてしまう」といった反応をして、どうにか50代まで、「男性社会」で生きてきた人が多いんじゃないだろうか。「産休」しかなかった時代、「産前6週産後8週」しかなかった時代に、子育てとの両立は、今のお母さん以上にハードだったのは想像に難くない。今のお母さんだって十分ハードだけれど。)
・・・・でまあ、そんな風に考えるのは、すべて、「今の世の中」「今の働き方」が基準になっているからで、「だったら、無理―」「そんなの、むーりー」と「無理カベ」状態になってしまうひとだっているだろう。(私はそうだった)
だけれど、「物事を決定するのに、男女そろっていたほうがよい」「多様な視点こそがダイバーシティなのだ」という考え方を自分なりに解釈してみると、「そうか、多様性の中から、新しい働き方、新しい家族の在り方、新しい両立の仕方を探ること」が今後目指すことなんだな、と思えるようになってきた。
今のことを基準にするのではなく、新しい基準というか新しいスタイルを作り出していく必要性。
その作り出すところに、男性だけじゃなくて、女性も同数いた方がいいのよ、という考え方。
それならすごく納得がいく。
女性が管理職に躊躇するとしたら、それは、今の社会、今の会社、今の働き方を「自分ができるか?」と自問自答してしまうから、なのかもしれない。
そうじゃなくて、結婚もし、子どももいて、それでも、自分は自分のキャリア(職業キャリア)を形成していきたいと考えられる、それも自然に、無理せずに。
そういう社会にしていくために、女性の管理職比率の高さは重要なのだ、という風に考え方を逆転してみる。
女性が多いことで、物事は、男性だけの視点で進むのではなく、女性の視点も入った議論、決定がなされるようになる。
これが、ダイバーシティの目指すところなんだろうと思う。
(男女、だけの対比で述べたけれど、LGBTとか、年齢の幅、国籍、文化、働き方など、様々な多様性がある)
というわけで、最近、もっとも気になることを最後に。
「女性活躍推進タスクチーム」
「女性活躍推進ワーキンググループ」
「ダイバーシティ推進チーム」
などを作っている企業は多いことと思う。
たとえば、
「女性活躍推進ワーキンググループ」が男性だけで構成されていたらどうなんだろう?
当事者がそのメンバに加えられていないなんて、それ、変ではないか?
逆だったら、とても違和感を覚えるはずだ。
「男性の活躍を推進するにはどうしたらいいでしょう?」を女性だけで議論している・・・。
ほら、何か変でしょう?
「女性活躍推進」。
法律も制定されたし、企業はちゃんとやらなくては!と張り切るのはとてもいいことだけれど、
ワーキンググループ、タスクチーム、専門組織を立ち上げた時、そこに「多様性」はありますか?
女性活躍を男性だけで話し合っていませんか?
多様性といいつつ、非常に似た属性の人だけで「多様性どうする?」と議論していませんか?
・・・そんな風に問題を提起して、本日は、筆を置きたいと思いまする。
ご清聴ありがとうございました。