「仕事が楽しい」のは「もがくから」なんじゃないか。
心優しい竹内さんのブログを「ふむふむ」と思いながら読みました。最後の箇所を
「仕事はもがくもの。それでも、楽しいもの」
とまとめていらっしゃったので、じゃあ、あえて、違うアプローチをしてみようとこのエントリーを書いています。
「仕事はもがくもの。だから、楽しいもの」
私はそんな風に思うのです。
「仕事は楽しい」
「仕事は楽しまなきゃソンですよ」
・・・という風に「楽しい」が先に来ると、ちょっと「怪しい」感じになります。
「本当か?」
「真面目にやってんのか?」
「まだ、苦労してないだけなんじゃないか?」
仕事は、苦しいことが多い。新人だろうとベテランだろうと「苦しい」ことには変わらない。
・・・もがく、もがく、苦しい。
原稿書く仕事は、特に苦しい。(竹内さんに「いいね!」×10000したいくらい。)
私は、原稿仕事を「鶴の恩返し」と呼んでいるのですが、何か文字を書くたびに、羽が抜けていって、やせ細る・・・。「つう」になった気分をいつも味わいます。
原稿書く仕事だけではなく、どんな仕事でも大なり小なり「もがきながら」しているように思います。
相手が満足してくれるか、誰かを喜ばせているだろうか。「あなたに頼んでよかった」と思っていただけるだろうか。
そのために、工夫したり、新しい何かをトライしてみたり。
それがうまくいくこともあれば、ああ、ダメだったかと反省することもある。
そういう風に「もがく」からこそ、「楽しい」のだと思うのです。
楽に手に入ったものはどんなものでも大事にしないような気がします。
「もがいた」結果、手にしたものだから、大切にし、だからこそ、楽しい。
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今日は地元のお祭りで、甥っ子たちが遊びに来ていました。
妹(甥っ子の母)が金魚すくいをしたいというので、トライしている脇で、甥っ子(6歳)も挑戦。
「破れにくい紙」で挑戦する場合は、「金魚をすくいやすい」から「リリース」が条件です。
甥っ子は、リリース条件で、「破れにくい紙」を使って取り組むものの、数十秒で紙が破れてしまい、しょぼん。
おじさん、とても優しくて、「これで、もう一回やってみ」と同じく「破れにくい紙」のものをくれました。これでも1匹も捕まえられず・・・。
すると、おじさん、最後は、普通の「網」をくれて、「これでやってみ」とニヤリ。
もちろん、この網を使えば、がんがん金魚はすくえます。
10匹くらいすくったところで、「その辺にしておきな」とおじさんにSTOPかけられ、そこまでにボウルに入れた金魚は全部リリースしました。
ちびっ子が楽しめるように、とおじさんが段階的にサービスしてくれたわけですが、「もがかない仕事」というのは、「破れない網」で金魚をすくうようなもの。
たくさん取れるかも知れないけど、もがく部分がないから、きっと、達成感もないし、記憶にも残りそうもありません。楽しくもないような・・・。
破れそうな紙を使った金魚すくいで1匹でもゲットしたら、これは、達成感だけじゃなくて、記憶にも残るし、その金魚には思い入れも十分持てるように思います。
「もがいた」からこそ「楽しい」。
仕事というのは、「網ではなくて、破れそうな紙でいろいろと工夫し、ドキドキしながら、金魚すくいに挑戦する」ようなものなんだと思ったりします。(最後は、なんとかこじつけてみました。)
ところで、あの「すくうもの」は、何と呼ぶのでしょうか?