大島渚さん著『タケノコごはん』ポプラ社。「そのときはじめて、やっぱり戦争はしないほうがいいのかなあ、とおもったのでした。」
大島武さんを知ったのは、彼が小学校5年の時である。知り合ったのではない、知ったのだ。田中家全員が「大島武君」という可愛い小学生を、TVの向こうで作文を読む彼を。それから25年ちょっと経ったある日、縁あって、TVではなく、リアルな大島さんと知り合い、以来、お友だちだ。
このあたりのいきさつは、過去数回書いているので、これは割愛する。( → 詳しくは、コチラ )
先日、産業カウンセラー協会東京支部主催の勉強会に参加した。大島武さんが講師だというので駆けつけたのだ。
真ん前の席に陣取った私に、非常にやりにくそうになさっていたが、とにかく面白かったし、勉強になった。(そして、このセミナー報告もまたいずれ行う、たぶん)
開講前、大島さんは、私のところにつつーっと近づいてきて、1冊の本を差し出した。
「これ、よければ読んでいて」
大島渚 著 『タケノコごはん』という絵本。新刊だ。
勉強会が始まるまで20分ほどあったので、1ページ1ページ熟読した。
この『タケノコご飯』には、大島渚さんが、大島武さんの小学校時代の宿題に応えて書いてくれた作文が使われている。
「お父さんかお母さんが子供のころのことを、お父さんかお母さん自身に作文に書いて来てもらう」という粋な宿題。
お母さんは小山明子さんで、多忙に多忙。父のほうがまだお願いしやすいと考えた武さんが父・渚さんに頼んで作文を書いてもらう。
物凄い長文で、当時、武さんは、「大人はずいぶん長い文章を書くんだな」と思っただけだそうだ。
これが今年2015年8月、ステキな絵と共に絵本になった。
大島渚さんは、昭和7年生まれ、うちの父は6年なので同世代である。中学生のころ終戦を迎えている。ということは、小学生中学生という多感な時期に、戦争を体験し、そしてその体験は、しっかり覚えているぎりぎりの世代でもあるだろう。
学校の先生が戦争に行くことになる。
同級生のお父さんが戦地で亡くなる。
代わりに来た先生もまた戦争に行くことになる。
皆で先生の家に集まる。
近所から採ってきたタケノコでタケノコご飯を炊き、皆無言で食べる。
・・・・声高に叫ぶわけではないけれど、じっくりと、「戦争はいけない」というメッセージが伝わってくる絵本だ。
この作文、最初に掲載されたのは、大島渚さんが亡くなった後、武さん・新さんご兄弟が父の想い出をつづったエッセイ『君たちはなぜ、起こらないのか』である。
子どものころの書いてもらったこの作文は、大島渚さんの「愛のコリーダ裁判」においても、鈴木清順監督が陳述書の中で紹介し、「タケノコご飯も愛のコリーダも大島さんの愛の見つめ方なのです」と触れているという。
小学生時代の宿題がこうしてまた絵本になった。
もう5回くらい熟読したので、今度は6歳の甥っ子に読ませよう。
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ところで、上記のエッセイ『君たちはなぜ、怒らないのか』は、兄弟で父のことをきちんと調べ、自らの記憶と共に父の人生を追ったとても素敵なエッセイである。
これを読んだ時、TVで怒鳴っている姿が印象的な大島渚さんは、非常に愛溢れる優しい父親だったのだな、ということと、信念の人だったのだな、ということがよくわかる。
ご兄弟は、有名人の両親のもとに生まれ、色々大変なこともあったようだけれど、有名だからこそ、父の足跡をたどる資料が大量に残っており、それをつぶさに調べることもでき、亡くなった後、再び父の人生を追体験できたのだろうとも思う。
それはそれでとても羨ましいことである。
どちらの本もとてもよいので、ぜひ、お読みください。
※オマケ: 勉強会会場で絵本を手渡したのは、私がその絵本に気を取られて、大島さんの講義に集中できなくなることを期待していたらしいが、そんなわけないだろー。折角早くいってかぶりつきの席を確保したのだから! 絵本はその場できちんと熟読したけれど、開講時にはバッグにしまい、真剣に勉強したに決まっているじゃああーりませんか(笑