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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「からかわれる」対象から、「おおおぉ!」と一目置かれる存在に変わったあの夏。1980年8月甲子園。

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都立国立高校。母校です。

高校1年か2年の頃。つまり、1978年とか79年とかそのあたり。

冬にスキー合宿があり、妙高とかそんな場所に出かけました。身体の前後に大きなゼッケンをつけさせられ、そこには「都立国立」と書いてありました。

スキー場ですれ違う大学生たち(当時、スキーというのは、大学生の最大の遊びだったのでしたが)から、私たちのゼッケンを見て、

何、こいつら。 都立、なのに、コクリツだってー。どっちなんだよ

とからかわれたものです。

「トリツなのにコクリツ」・・・・


悪かったね、と心の中で毒づいていた高校1-2年生の頃。忘れもしないあの大学生(笑


そして、高3になって、甲子園に出たことから、そんな風に揶揄されることはなくなったのでした。

「とりつくにたち」。誰もが読めるように。ありがたや。ありがたや。

さて、日経新聞には、その懐かし国高ナインと監督がずっと掲載されています。かつての同級生が次々出てくる。

当時の国高は、3年間クラス替えがなく、担任もクラスメイトも入学から卒業までずっと一緒でした。
残念ながら、私が所属していた6組には、野球部がいなくて。あ、でも、担任教師が野球部の顧問でしたが。

野球部の面々とは、直接、言葉を交わしたことがほとんどないのですよね。唯一、川幡君くらいか。(向うは覚えちゃいまい)

さて、日経の連載は、全部で3回。

市川君(ピッチャー)

川幡君と岩本太郎君(岩本太郎君の父上とうちの父が大学の同窓生でした)

村松君と市川監督

色々と懐かしい。

そして、かつての同級生が、みんなすごいポジションに就いていることに驚きます。

いやあ、しみじみ懐かしい。戻るなら35年前のあの夏に戻りたい。

(その後浪人生活するので、そこは飛ばしたいけれど)

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