「焼き鳥は串から外すべきか」「から揚げにはレモンをかけていいのか」「逆さ箸はあかんのやないか」問題を一気に考える。
マナーというのは、形ではなく、心の問題だと思うと共に、大半の人が「これがいいだろう」と思うからこその形もあるわけなのだけれども、形だけよけりゃいいかというと、ハートがないものはとても困惑するし、心があれば形はどーでもいいかと言われるとそれも違うような気がする。
たとえば、である。
「あの人さー、心があるから、形はなってないけど、許してやってよ」と言われても、名刺交換した後、自分の名刺の上に肘を載せたまま話されると、「ああ、私の名刺の上に肘が載ってますけどぉー」とどきどきモヤモヤしてしまう。
「あの人さー、形美しいよね」と言われても、言葉も丁寧、お辞儀も美しい・・・けれど、全部型どおりで、目が死んでるとか、慇懃過ぎてかえって無礼に感じる空気感をまとうというタイプもいる。
「心」とそれを現わす「形」が「調和」している状態が、もっとも望ましいのだろう。
これは同僚に聴いた話だ。
あるショッピングモールに出かけ、レストランに入った。子供連れOKのところである。乳児がいたので、粉ミルク用のお湯をお願いしたら、快くお湯を分けてくれた。
まあ、ここまではわかる話である。← 同僚曰く、「お湯をくれる店は多い」とのこと。
そのお湯を持ってきてくれたウェートレスさんが、さらに、氷いっぱいのペール(ワインを冷やすバケツみたいなやつ)をワゴンに載せて持ってきてくれて、「これ使ってください」と。
普段ならワインボトルがカッコよく突っ込まれるペールに、哺乳瓶を入れることができた。 ← 温度を下げるため、ね。
お店のマニュアルにあったとは思えず、とっさの機転だろう、と言っていた。
というわけで、形と心は一体化してこそだな、と思うお話であった。
さて、「宴会」「会食」について。
● 焼き鳥は串から外すほうがいいんだろうか?
● から揚げにレモンをかけていいんだろうか?
● 逆さ箸で大皿から取ったほうがいいんだろうか?
という「宴会三大命題」がある。(今、作った)
これが物議をかもしているようなんだが、ねとらぼから取材を受けたので、文書で回答し、以下のように編集された。(ありがとうございます)
物議をかもすということは、賛否両論である上に、その理由もまちまちなんだろうけれど、
考えてみたら、会食とか宴会って「コミュニケーション」のためにするものなんだから、それこそ、そこを「コミュニケーション」すればいいじゃないの、と特に「焼き鳥」と「から揚げ」問題については、思うのであった。
「串から外します?一人ずつ召し上がります?」
「レモン、どうします?」
そうやって確認すりゃいいと思う。
毛色の異なる、3つめの「逆さ箸」。これ、本当に美しくないので、「直箸」で会食できる仲間でないなら、「取り箸」をもらえばよいと思うのですなぁー。
ついでに言うと、
「手皿」というのも美しくないので、やめたい。
日本食は、お皿を手に持って食べてよい文化なので、うつわごと持って食す。
手を皿替わりにしたところで、手にたれた何か(ソースとか汁とか)を、今度はどーすんねん、という課題が残るのだからして、最初から、ちゃんとした「皿」で受けましょうね、っと。
追記:Facebookでこのエントリを公開したら、コメントいただきました。
「懐紙を使っているご婦人を見かけ、いいなぁと思った」とのこと。
そうです。そうです。懐紙(かいし)は、そういう風に使えるものですね。ただし、今、誰も「懐」にその「紙」を入れて持ち歩いてはいないわけだけども。
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私のうつわコレクションから。(青いシリーズ)
※ プライベートでは、「うつわバカ」をやっています。「おばバカ」と「うつわバカ」の2バカ中です。
陶芸家の個展巡りをしまくっている内に、陶芸家のお友だちも多数できてしまい、さらに、ギャラリー店主ともお友だちになり、そして、とうとう、うつわ屋さんで出会うお客さん仲間とも飲みに行くような仲良しになる、という・・・。
写真もすべて「作家もの」です。