「続ける人」が「いやぁ、私は全然続かなくてー(汗)」と反応するのは何故だろう?
「継続する」というのは、それだけで尊敬に値すると、たいていの人が思っている。
たとえば、昨年、わたくしは、ヘンタイウォーカーと自ら名乗り、ピーク時には、週7日、1日7km以上歩いていた。今年は体調の変化により、これができなくなって、週2回程度にとどまっているが、それでも、週1以上7㎞以上歩いていることには変わりない。もう16か月続いていることになる。
この話をすると、「何がすごいって、継続することですよ。ボク、続かないもん。」「よく朝起きられますねー」「7㎞以上歩いてから会社行くなんて、すげー」と褒められる。
友人で365日、スープを作り続けている人がいる。まもなく1000日になるそうだ。雨が降ろうが槍が降ろうが(槍が降ってきたのは見たことないが)、体調が良かろうが悪かろうが。とにかく毎朝スープを作り、(しかも毎度異なるスープを!)SNSに上げている。
それがきっかけでとうとうスープ展を開いてしまったほどである。
彼女が言う。
「続けているってすごいですねーってよく言われるんだけど、私、どんなことも続かない人でねー」
・・・彼女とごはん食べながら、
「続けるってすごいですねー」っていうと、たいていの人が「いやぁー、私は全然続かなくて。これが初めて、唯一、続いていることなんです」という反応をするよね、という話になった。
うん、そうそう、みんなそう言う。
彼女もいろいろ続かない自分がなぜスープだけは1000日も続いているんだろう?と不思議そうに言っていた。
私のヘンタイウォーキングは、どうか。
最初は、自信を取り戻したくて、まずはシェイプアップしようと思って始めた。ほぼ3ヶ月、体重が微動だにせず、心折れそうになりながらもSNSに歩いた距離を公表していると、数々の応援が届き、それをはげみに頑張った。(そもそもが「承認欲求の強い人」だから)
だから、SNSがらみで、つまり、「公表してしまった」からにはやめるわけにもいかない、というのが最初のころの動機である。
しかし、それだけで16か月も続くものでもない。SNSの承認は、いわば「外発的動機づけ」だからだ。
3か月くらい経過してから体重が落ち始め、全身のシェイプが変わってきたころから、おそらく、「それ自体がやりがいのあること」に変化したのだろう。いわゆる「内発的動機づけ」である。
人は、「内発的に動機づけ」られると、行動は強化されやすい。外部の何かに影響を受けないからだ。
スープを作っている彼女は、「大好き!」「眠れないほどスープのことを考えている!」というほどののめりようではないとしても、やはり、「スープ作り」自体が「内発的要因」になっているのだろうとなんとなく思う。
じゃあ、何がその人の「内発的要因」になるのだろうか。
たいていのことが続かない・・と多くの人が嘆くし、恥ずかしそうに言うのだけれど、たった一つか二つを継続し続けている人というのは、何がきっかけでそうなるのだろう。
面白いテーマだ。
それと、
やはり。
「続ける」ということだけで素晴らしいとは思う。
何かの成果に結びつけられた人の多くは、それを単発でしたのではなく、継続して行っていたはずだ。
「続けている」という面だけ褒められてもなぁー、中身で勝負したいよなーとは思うかもしれないけれど、「続ける」ことの困難さを誰もが知っているから、「続けている」という事実だけで、みんな、賞賛してくれるのだろう。