第19話:美味しそうねぇ
大学時代の話。
教育学科だったため、先輩から時々「教育関係」のアルバイトが降りてきた。
特に印象に残っているのは「幼稚園のお受験塾」の試験官。お受験の模擬試験で様々な科目をテストする役目を学生達で分担した。
「くつ紐が結べるか」「自分で並べたパズルに沿ってお話を作れるかどうか」など担当が決まる。
私があてがわれた部屋では「魚の名前を尋ねる試験」を行った。
一対一の面接形式で、子供(4-5歳児)に質問し、答えによって点数をつけていく。
5個回答できたら、5点。4個なら4点、と点をつけて、他の試験の教室に送り出す。
「お名前は?」
「○○です」
「はい。よろしくお願いします。では、お魚のお名前を5つ言ってください」
「ええと、サケとぉ、サンマとぉ…」と子供が答える。採点が済んだら、次の子供を呼ぶ。
何人目かに入って来たのはまるでお人形ハウスから飛び出してきたようなお嬢ちゃんだった。白いフリフリのお洋服。レースの靴下にエナメルの靴。控え室で見かけたママは、ブランド物で身を固めたゴージャスな雰囲気。私はお嬢ちゃんに質問する。
「お魚のお名前を5つ言ってください」
「タイとぉ、マグロとぉ…」
『やっぱりイワシなんて言わないんだなあ』と頭の片隅でちらっと思いつつ3つ目の答えを待っていると、ぱたっと止まり黙り込んでしまった。
数10秒後、笑顔になり、「あ、あと、シロミのオサカナ!」と元気よく答えてくれた。
『シロミノオサカナって…』と一瞬ひるんだが、「〝白身のお魚〟は、どういう種類かな?」と尋ねてみる。「シロミのオサカナだもん」と言われてしまった。
なにぶん頼まれ臨時アルバイト。試験の採点規準について例外処理は教わっていない。「シロミのオサカナ」は、正解なのか不正解なのか迷った挙句、〝△(白身のお魚)〟とメモを添えて、責任者に書類を回した。採点がどうなったかは記憶していない。
家でママと十分予習をしてきたのに、緊張のあまり「お魚の名前」が出てこなくなったのだろう。あるいは、いつもママが「はい、白身のお魚よ」と食卓に並べてくれるので、「シロミノオサカナ」という名前の魚が存在すると思っていたのかも知れない。
いやいや、「切り身」で泳いでいると思い込んでいた可能性がないとも言えない。
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海辺に暮しているとか、釣り好きな家族のお供をすることが多いといった理由でもない限り、食卓に上る魚がどこからどうやってくるかを知る機会はとても少ない。
魚ばかりではない。野菜でも果物でもなっているところは見たことがないという人は子供に限らず大勢いるだろう。
私だって生えている姿を知らないものはかなりある。(幸い、母がかなり大掛かりな家庭菜園をしていて、実家に行く度に「収穫した野菜を持って帰って」と言われ、さらには収穫にも連れて行かれるので、野菜に関してはどうなっているかを目の当たりにする機会が多いのだが)
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ラジオを聴いていたら、パーソナリティが「水族館に子供達を連れて行って、生きて泳いでいる魚を見せるのは、〝食育〟になるからとてもいいことだと思う。我が家は実践している」という話をしていた。
そう言えば、高校時代、クラスメイトと水族館に行った時のこと。仲良しのNちゃんとで並んで水槽を見て回っていると、後ろから「これは鯛。美味しそうねぇ。こっちはイカよ。美味しそうねぇ」という声が聞こえて来た。
振り返ると小さい坊や(幼稚園児かな)を連れたお母さん。坊やに魚の名前を教えると共に、必ずしみじみとした口調で「美味しそうねぇ」と連発している。
私達は、「水族館で、〝美味しそうねぇ〟ってのはないよねぇ。情緒ないよねぇ」とくすくす笑った。
その時は高校生だったから、「お母さんになると、何でも食材に見えてしまうものなんだな」と思っただけだったが、今にしてみれば、子供に「これは食べ物でもある」と教える意図もあったのかも知れない。
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田中家で今でも笑い話として時々話題に上るエピソードがある。
赤ちゃんの頃、とても食が細かった我が妹、牛乳だけはよく飲んでいた。「牛乳のおかげで無事育った」とまで言われた。
夏休みだったか。私たちを牧場に連れて行ってくれた両親は、放牧されている牛を見つけ、「○○ちゃん、牛さんにありがとうと言いなさい」と促した。よちよち歩きの妹は、乳牛の柵までとことこと近づき、「牛さん、どうもありがとう」と言い、ぺこりとお辞儀をした。
この「牛さんにありがとうと言いなさい」だって〝食育〟という面があったのだと改めて思う。妹は毎日飲んでいる牛乳は大きな牛さんが提供してくれていることを幼心で理解したに違いないからだ。
そして、この話の、家族としてのオチは、「あの頃のあなたはかわいかったわねぇ」であることも申し添えておこう。
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「食育」といえば、この本が凄く良かったのです。
渡辺俊美 『461個の弁当は、親父と息子の男の約束。』 マガジンハウス
渡辺俊美さんというのはミュージシャンだそうで(ごめんなさい、存じあげず。でもたぶん、有名な方だと思われ。。)、離婚をきっかけに父子家庭になり、息子に負担をかけてしまったから、自分もできることを何かしようと決意。高校三年間、実に461個のお弁当を作り続けるのです。 最初はつたないのですが、日々上達し、工夫もし、お弁当箱も旅先でわっぱ を買い足したりして、凄いことになっていきます。 写真とお弁当のメニュー、その合間に息子との間の心の交流などが書かれていて、とてもほのぼのとしているお弁当エッセイです。
とてもとても心洗われるステキな一冊。 野菜の肉巻、作ろう!と思うほど。
紅ショウガ入り卵焼きなんかもへぇーと。(大阪ではなんでも紅ショウガを入れるそうで・・・)
※日経BPケイタイ朝イチメール(初掲:2009年7月~2010年7月配信)(元:電子書籍『コミュニケーションのびっくり箱』)の再録です。 日時、場所などについては掲載当時のままです。細かい言い回しは多少加筆修正しています。