日野原重明さんの講義:「いのち=時間」を誰のために使うのか?
【5月のある日。東京タワーの足元から見上げたら、大きな月が。】
新入社員研修が終わり、ようやく、大学に通い始めました。4月初旬に開講していたのですが、全く行くことができず。
木曜日は、昨年に続き、上智大学グリーフケア研究所主催「グリーフケア講座」(春季)を取っています。輪講です。
昨夜2014年5月29日(木)の授業は、聖路加国際病院・日野原重明医師が講師でした。
18時半開講ぎりぎりになって教室に入ると、目に飛び込んできたのは、車椅子で檀上にいらっしゃる日野原先生。とても驚きました。
昨年も102歳誕生日近くに講義を受けていて、1時間立ったまま、元気なお声でお話しくださいましたので、どうなさったのだろう、と。
開講後すぐにご自身がその状況について語られました。簡単に言うと、心臓の弁がうまく機能しない病気が見つかり、血圧を下げる治療をするとともに、心臓に負担を掛けないよう=つまり、身体を激しく動かさないよう、車椅子で移動することにしているそうです。
その先が先生らしいユーモアで語られたのですが、
「しかし、わたくし、精神は旺盛ですので、車椅子にはいながらも、病気の前となんら変わりはなく、今日もこうして講義をしに来たのです。」
とのこと。
張りのある元気な声、笑顔で大きなジェスチャー付きで1時間。途中水を飲むこともなく。すごい!
精神力というのが人間の元気を支えるのだなあ、と感動すら覚えました。
さて、昨日の授業のテーマは「子どもの死に対する親のグリーフケアについて」でした。日野原先生にとってもこのテーマでの講義は初めてだとか。102歳で初めての講演テーマです。
姜尚中さんや柳田邦男さんなどお子さんを亡くした経験のある方の言葉を引き、子をなくすこととはどういうことか、親はどうすればよいか、周囲はどうケアすればよいか、といったことをお話しになりました。
そして、後半では、いつも通りに「いのち」のお話を。この「いのち」のことは、昨年もこのブログで紹介しましたが、とても心に響く内容ですので、あらためて書いておきます。
私は心臓の病気になりましたが、心臓の動きが止まると死に至るわけです。だから、「いのち」というと、心臓のことと思うかもしれませんが、心臓は、単なる「ポンプ」です。血液を送る「ポンプ」にすぎません。
では、いのちとは何か。いのちは、子どもにでもわかるように説明するならば、「時間」です。「あなたに与えられた時間」。これが「いのち」です。
大切なものはたいてい目には見えません。いのちも見ることができません。
自分のいのち=自分の時間を誰かのために使ってください。
そして、あなたは、”誰”のためにその時間=いのちを使いますか?
この最後の部分がずしーんと心に響きました。
「誰のためにその時間=いのちを使いますか?
そうだ、そうだ。
生きているとわずらわしいこともたくさんある。
そのわずらわしいことに関わり、楽しくない時間を過ごすより、特に重要と思えないできごとや相手であれば、そこは、華麗にスルーして、「大切な人」「大切なこと」に自分の大切な「じかん」=「いのち」を使ったほうがうんといい。
もちろん、わずらわしいことであっても、自分が対処しなければならない出来事は多々あるけれど、まあ、スルーしてもよいかな、と思えることには、エネルギーを費やさないという選択もあり、なんだなあ、と改めて思ったのです。
たとえば、ですね。
理不尽な顧客からのクレームの電話を受けて、それが、なんだかもう「くそみそ」に電話口で罵倒される、なんてことがあります。
多少、自分側にも落ち度なり謝るべき点があったとしても、「ここまでひどく言わなくてもよいではないか」という度の過ぎたクレームなんてのもあります。
そういう場合、必死に弁明したり、あるいは、弁明はせずとも、心の底から相手の言っていることを受け止めてしまい、心の底からというか、芯から受けてしまい、数日間悶々と過ごすこともあるでしょう。
その数日間は、そのわずらわしい出来事に自分の時間が全部支配されているわけで、それは、自分の「いのち」をそのことに差し出していることになるのですよね。
なるほど、なるほど。
そう思うと、自分のいのちを誰のために使うか、というのはよくよく考えたほうが賢明な気がします。
そういえば、15年以上前に「義理の宴会に出るのはやーめた」と思い、義理の集団飲み会に出なくなり、5年くらい前にはちょっとした手術を受けたことがきっかけとなり、「もう好きな人としかご飯食べない!」と決意したのですが、それは、「自分の時間を愉快なことに使いたい」と思ったからにほかならず、実は、「食事」という基本的欲求の一つについて、自分なりの「いのち」の使い方を決めたということなのですね。
さらに。
誰かが私のために時間を割いてくれた時、それは、「あなたの時間=いのち」を私のために使ってくれたことにもなるわけで、感謝しなければならないのだなあ、とも思いました。
誰かに相談に乗ってもらう時間、
誰かに何かをつき合ってもらう時間、
自分のいのちも差し出しているけれど、
相手のいのちをも頂いているのですね。
大事大事。
日野原先生は、10月に103歳の誕生日を迎えらえ、秋季授業では12月5日に登壇予定とか。
最後にこうおっしゃいました。
「グリーフケアの講座(輪講)の各先生方のテーマを私なりに勉強しましてて、また自分の講義のテーマも考えて来ます。」
”自分なりに勉強しまして”ですよ。102歳。
私は”まだまだ”半分の歳。
大きく手を振って会場を後になさいました。
お身体、おいといくださいますよう。