「ゆとり世代」と揶揄するのはもうやめよう
「ゆとり世代」という言葉を誰が流行らせたのか知らないけれど(いや、ちょっと知っているけれど)、それを、若者を代表する「符号」のように使うのは好きではない。
たとえば、
「最近の新入社員って、自分で考えようとしないんですよね、ゆとりだからですかね」
「20代の社員って、指示待ちが多いんですよね、やっぱり、ゆとり世代だから自分から動く力が備わっていないんですよね、きっと」
なんて言い方を今でもよく耳にする。
以前から繰り返してここでも書いているし、講演やセミナーでも口にしているのだけれど、「ゆとり世代」「ゆとり」といってラべリングし、「だからですかね」というのはもうやめたいと思うのだ。
上記の発言主に、聴いてみることがある。
「なるほど。では、〇〇さんが新入社員のときは、自分で考えようとしましたか?」
「なるほど。では、〇〇さんが20代の時って自分から動きましたか?」
すると、
「ええ!もちろん!」
と答える方は少なくて、
「少しは考えましたよ」
「今の20代よりは動きましたよ」
と言う方のほうが多い。
それは本当かも知れないけれど、記憶を美化しているだけかも知れないし、今の自分と比べているのかも知れない。今の自分と比べているとしたら、比較対象が全く違うわけだから、それフェアじゃない。
「ゆとり世代」というけれど、「ゆとりのある教育」がどんなものかを詳細に理解している人はごくわずかだろう。世間で喧伝されている言葉をそのまま鵜呑みにして「ゆとり世代だから」と言っているケースのほうが多いんじゃないだろうか。
それはそれで「自分で考えていない」ってことになりはしまいか?
昨今の就職の厳しさ、新入社員研修の高度化、そして、入社してくる新入社員の至極優秀な様を見るにつけ、「ゆとり世代」どころか、反対に「ゆとりない世代」だとひしひしと感じる。
先日バブルよりちょっと後入社の40代の方と会って、「いまの新入社員のほうがよほど厳しい環境に置かれているよね」という話で盛り上がったのだが、その際、彼が言うには、
「僕は新人研修中、毎晩、講師(外部講師)を誘って飲み歩いてました。研修なんて、まじめにやってないし」
・・・そう、40代50代にはそんな人多かったと思う。まじめに取り組まない。
「それでも今ちゃんとマネージャになっている」
「それはそれで今は成長している」
と思うかも知れないけれど、「育ちやすい」環境だったことを忘れてはいけない。
「5年で一人前になればいいかなあー」と言われた40代もいる。のんびりしていたのだ。
今の新入社員に、そんなゆとりは与えられない。
2011年度入社から新入社員は劇的に変わったというのは私の現場感だ。
震災直後の入社。リーマンショックからの就職難。その他もろもろの要因がきっと重なって、新入社員はとてもまじめでしっかりしていた。
たとえば、3か月の新入社員研修期間中、誰一人として遅刻をしない。忘れ物をしない。
予習してくる、復習している。ぎりぎりに出社する人などほとんどおらず、30分以上前には会社について日経新聞を読んだりしている。
自作のお弁当も持参だ。
堅実で、まじめで、真摯である。
人事部の方も「あんなにまじめでしっかりしていて、新人らしい抜けたところがないことはかえって心配、無理していないだろうか」とさえおっしゃる。私も時々そう思う。
「ゆとり」なんかまったくない。
今週からクライアント先の新入社員研修がスタートするが、今のカリキュラムは本当に難しい。担当する講師にとってもとてもハードだ。当然、先週まで学生だった方たちは難易度が高い。
時々思う。「いま、私が新人だったら、決してこのカリキュラムを乗り越えられない」。
新入社員がもし「自分で考えない」ように見えるのだとしたら、「考えるための材料が少ない」のではないだろうか。
「自分から動かない」と思うのであれば、「自分から動くとはどういうことか」がわからないのではないだろうか。あるいは、新参者として、「勝手に動いていいかどうか」に迷っているのではないだろうか。
先に社会に出ている私たちができることは、彼ら・彼女らを温かく受け入れ、もし、異なる価値観があったらそれを理解しようとつとめ、そして、「絶対に外してはいけない軸」は伝えつつ、「もしかすると、若者の言うことのほうが正しいかも」と思えば、こちらも考えを変えてみて、そして、「ともに働く仲間」として、互いに高め合い、助け合っていくことではないだろうか。
私は、新入社員に「ですます」で話す。
それは、クライアント先の新入社員だから、ということもあるが、彼らをきちんとリスペクトしているからである。
「大人」として扱えば、「大人」として振る舞うものだ。
将来を担う20代である。
愛情を持って接していきたい。
新入社員には、誇りを持って生きていってほしい。
はっぴーな職業生活が待っていますように。