大勢の講演やセミナーで出てくる質問って対応が難しいというお話。
昨日(2013年12月12日)、東京大学中原淳さんのブログを見ていたら、思わず「膝を打って」しまいました。
マス向けの講演やセミナー、はたまた、シンポジウムの最後にある「質疑応答」について考察しているものです。
●「全員の前で質問を受けて、全員の前で答える形式っていいんでしょうか?」という問題提起をした上で、
●そもそも質問者の質問って、こういう3つのパタンに分かれませんか?と問いかけています
1.あさって型 ・・・ それ、今日のお題となんか関係ありますか?
2.オレオレ型 ・・・ あなたのご高説はわかりましたが、質問ですか?
3.ソクラテス型 ・・・ 普遍的なことをここで尋ねられても・・
うう、わかる、わかる、わかりすぎる。
先日、あるセミナーに参加したら、最後のQ&Aの時間、200人くらいいる聴衆から手が挙がりました。
「はいっ!」
マイクを向けられた男性が立ち上がり、3分ほど話したことは、「講師の話を受けて、自分がどう感じたかという感想」でした。
『おいっ、質問じゃないのかよっ』
と心の中で突っ込んだものでした。
10年ほど前のこと。400人くらい聴衆がいるシンポジウムの、パネラーとして壇上に上がっていました、私。
パネラーは4人だった記憶があります。その中の一人の大学の先生に対して、「質問です!」と手を挙げた女性。
立ち上がり、マイクを持って語る、語る、語る。 最初、メモを取っていた私は途中から、メモをあきらめ、口をぽか~んとあけ、そのマイクの主を壇上から見つめました。
「私の歴史」」を語っていた彼女は、それでも、最後に「疑問を口にする」んだろうと思っていたのですが最後にこう言ったのです。
「今日はいいお話しをありがとうございました」
・・・・
『えっ!? あなたの人生をこの400人に聴かせるためだけにマイク握ったのぉ~。時間返せ~』
もちろん、心の叫びです。
あれ、なんなんでしょう?
「はいっ! 質問っ!」
と手を挙げ(これはこれで、すごく勇気のいることです)、
延々と「自叙伝」を語る・・・という・・。
不思議です。
中原さんもブログの中で書いていらっしゃいますが、質疑応答の「形式」に問題があるんでしょう。
コントロール不能になるような事態を避け、意義のあるQ&Aになるためにはどうすればいいのか、を考えることですね。
その点、質問用紙に書いていただく方式は、多少取捨選択ができるので有効・・・な気はします。
それにつけても、人は「語りたい」生き物なんだなぁとつくづく思います。
だから、最近は、講演でもセミナーでも、隣同士あるいはグループで「感じたいことを話し合う時間」を設けるようにしています。そうするとすっきりするので。
ただし、この場合も、全体で「15分とっている」にも関わらず、一人で10分使ってしまう人というのがいるので、タイムマネジメントもしていただくように促します。