第2話:おとうさん、おかあさんは切ないね…
「おとうさんがね、最近、クサイの」
「え? リエのおとうさん?」
「そう、なんかねぇ、だんだん臭くなってきたの。おじさんって臭くなるんでしょ」
「そうなんだあ。うちのおとうさんはまだ臭くないなあ。何が臭いの?」
「耳の後ろとか。この辺(と耳の辺りを押さえて)が〝おじさん〟クサイの」
朝の通勤電車。中学1年生くらいの、マジメそうな女の子二人が真剣に話している。どこぞの私立の制服を着て、通勤客と同じ時間帯に通学。
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それなりに混雑している車内で、「おとうさんがクサイ」という話題。
『ああ、そんな話を、朝の車内でしちゃだめだよ。該当者が沢山いるじゃないか』と、その無邪気さにこちらが冷や冷やしてしまった。
心なしか、その時の車内は、いつもよりもしーんとしていた。しーんと、というより、キーンだったかも(凍った音)。
12,3歳の女の子のパパは、30代後半か、40代か。
私の同級生などが、こうやって、電車の中で娘に「お父さんがクサイ」などと言われていると想像したら、哀しく、切なく、涙が出る。
おとうさんも頑張っているのに。もちろん、おかあさんも。
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この間、ほぼ最終の新幹線で東京から名古屋へ移動した。
ぷしゅ、ぷしゅ、ぷしゅ…夜の新幹線、あちこちから聞こえる、ビールを開ける音。
上司と部下。同僚同士。あるいは、一人で。スーツ姿の男性が仕事終わりの一杯か。
新幹線の中で見かけるビジネスパーソン。20代30代40代…。皆、島耕作に見える。なんとなく。
「できる男」に見える。
たまに女性も見かける。女性だって、やはり、ぷしゅ。私もたまにやります。
そう、男も女も、お父さんもお母さんも頑張って仕事しているんだよね。
21時東京発のぞみ、新大阪行き。
名古屋だって22時半。
新大阪なら23時半。
そこから帰宅したら、0時を回ってしまうだろう。
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お仕事、大変なのだよ。
「おとうさん、クサイ」と言われてしまうパパは、会社で結構ちゃんと仕事していると思うよ。
君たちが学校に通っているお金も、パパやママが頑張ってお仕事しているから捻出できるもので。
とはいえ、娘や息子に、親のありがたみなど分かるはずもなく。
多感な時期は、親がひたすらうっとうしいだけだったりもして。(私もそうだったから、そっちの気持ちもわかる。)
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30代40代と自分が年を重ね、仕事の苦労や家事の大変さを知るにつけ、父親が休まず仕事を続けていることの凄さを知ったり、食卓に暖かいご飯を並べる母の偉大さを知ったりする。
「オカンは凄い」とある新入社員が言っていた。
一人暮らしをしてみて、初めてわかった。ご飯は自動的に出てこないこと。そこに散らかって置かれたものどもは、自分が片付けない限り、ずーっとその場所に置かれたままであること。
トイレットペーパーは、誰かが補充しない限り、なくなる一方であることも。
「あれ、全部、オカンがやってくれてたんだなあ」。
「その感謝の気持ちを、今度帰省するときに、お母さんに伝えたら?」と提案してみても、
「それだけはぜーったいにしない」
「口が裂けても言わない」
照れくさいから、なのだろうけれど。
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「お父さんはクサイ」と言われ、「おかんは凄い」けど、それを本人には伝えない、などとも言われ、お父さんもお母さんも切ない存在だ。
誰もが、いつか仕事をするようになって、お父さん、お母さんがしてくれたさまざまの大変さを知った時、「ああ、もうちょっと親に感謝しておけばよかった」と思うのかも知れない。
私の父は、先ごろ77歳で完全引退したのだけれど、50年間も仕事する、って想像つかない部分がある。
母がきちんと三食の食卓を整え、お弁当まで作ってくれ、裁縫も上手で、何もかもこなしていたこと。自分が自分の力で生活するようになってみて、「一人のことですら、そこまで手が回りません」と思うことがある。
どちらも、ただ、「凄い」と思ってしまう。
冒頭の中学生も、あと20年くらい経つと、親のありがたみとか凄さに気づくのだろうか。
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初掲: 2009年7月22日 「日経BPケイタイ朝イチメール」
(電子書籍 『コミュニケーションのびっくり箱』(日経BPストア))
★2013年12月2日(月)より、拙著『コミュニケーションのびっくり箱』(販売停止)掲載コラムを「毎週月曜7時」に転載しています。日経BP社の了承を得ています。
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