「放置」「スルー」という「支援」もある、かもしれない
他者による「支援」というと、「構う」「声をかける」「気にする」「手助けする」といった、”関わり合い”を持つことをイメージしやすいけれど、その逆の「支援」もあるかもしれない。
たとえば、体調(精神的なのか肉体的なのかは別として)不良の時、積極的に”関わり”を持つタイプの「支援」であれば、
●どうしたの?
●大丈夫?
●水を買ってきましょうか?
●横になったら?
●話くらい聴くけど・・
●私でよければ何か手助けしますよ
こう言って相手に「歩み寄る」。相手に「寄り添う」。
言われた側も「うわ、助かります」と言って相手の好意に甘えたり、「じゃあ、これお願い」と依頼したりすることもある。
でも、なんというか、「声かけないほうがいいかも」「ここはひとつ気づかないフリの方がいいかも」というケースもある。
不機嫌そうだなあ、何か困ってそうだけど、どうも他人がとやかく言える場面でもなさそうだな、というような場合。
●気づいているし、気になってはいるけれど、あえて何も言わない
こういう「支援」もあるかもしれない。
本人は、ビンビンに「不機嫌オーラ」とか「不調オーラ」を出しまくっているのだけれど、構ってもらいたいわけでもないようなケースで、
●何を不機嫌そうにしているのよ?大人なんだから顔に出しちゃダメだよ
と諭すのでもなく、あくまでも
●スルー
あ、もう少しいい言い方をするならば、
●静観
●そっと見守る
・・・・・。
「支援」していないように見えるけれど、実際は「支援」しているという「スルー」もあるんじゃないだろうか。
「支援」とは「関わり合う」だけではなく、あえて「関わり合わない」ことによっても実現できる。
●見ているし、気にしているけど、あえて「静観」
きっと相手が今は
”Leave me alone!"
状態なんだろうな、と思って、あえて、スルー。
ただ、それは、「スタンバイしているスルー」。
●私の出番が来たら、いつでも声かけてね。
そんな感じの「支援」もある、ように思う。
まあ、これ、相手が「関わる支援」と「関わらない支援」のどちらを望んでいるか、ってこちらにはわからないので難しいのだけれども。
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よくある夫婦の会話。
妻:「ぶつくさぶつくさ(何か不平不満を述べている)」
夫:「それは、こーしたらいいんじゃないの? (とアドバイスを始める)」
妻:「黙って聞いてくれればいいのよ」
夫:「(げげっ。そうなの?)」
別の日。
妻:「ぶつくさぶつくさ(何か不平不満を述べている)」
夫:「(こーゆうとき、介入しないほうがいいんだよな、と学習し)ふむ、ふむ」
妻:「さらに、ぶつくさぶつくさ」
夫:「(黙って)ふむ、ふむ」
妻:「ふむふむばかり言ってないで、何か助けてくれてもいいじゃない!」
夫:「(げげっ。そうなの?)」
難しいですなぁ・・・。ぶつぶつ。